風景写真、猫の写真など載せています。楽しんでもらえればと思います。
僕の写真紀行は容量いっぱいになりましたので、 僕の写真紀行2に移行します。 またよろしくお願いします。お寺の建物に惹かれて(岐阜・甘南美寺) [歴史的建築物]
今回は甘南美寺で写真を撮ってきたので、
それを載せたいと思う。
インターネットで大垣からそれほど遠くないお寺を探していたら、
かなり立派な建物が境内にいくつも揃っているお寺を見つけた。
それで行ってみたのである。
撮影:OLYMPUS OM-D E-M5、M.ZUIKO DIGITAL ED 14-150mm F4.0-5.6
甘南美寺の解説
甘南美寺(かんなみじ)は、岐阜県山県市長滝にある臨済宗妙心寺派の寺院である。
山号は白華山。本尊は千手観世音菩薩(秘仏)。
美濃三十三観音霊場第十三番札所。
美濃四国八十八札場第六十五番。美濃七福神(恵比寿)。
伊自良湖湖畔にある。
境内のエドヒガンザクラは、幹回り3.3m、樹高23m、樹齢は約350年といわれ、
県指定天然記念物である(甘南美寺のサクラ)。
旧本堂は戦国時代の建立といわれ、馬頭観音の信仰でも知られており、
公営競馬の関係者なども多数参詣している。
伝承によれば、鎌倉時代、高阿弥、那智阿弥の行者夫婦が
伊勢国で救世観音を授かり、
故郷の美濃国山県郡釜ヶ谷(現在の釜ヶ谷山、標高696m)山頂に
祀ったのが起源であるという。
それからしばらく後のある夜、伊勢国の漁師が漁を行っていると、
美濃国から眩い光が海を照らした。
その光により魚が全く釣れなくなったため、
漁師はその光の源を探そうと美濃国へ向かい、
その光が釜ヶ谷の観音像の光であることを突き止める。
漁師の話を聞いた夫婦は観音像を釜ヶ谷山頂から麓の長滝に移したという。
1570年(永禄13年)頃、白華山 甘南美寺として創建される。
山門
車が停めてあり、あまり目立たないように撮るために
角度が限られてしまう。
本堂
旧本堂
本堂
鐘楼
本堂
手前が旧本堂で、奥が本堂である。
山門
甘南美寺から少し戻ったところにあった、古い神社を撮影。
隣には昔、高札場があったらしく、今では石仏が設置されてあった。
高札場とは、幕府や領主が決めた法度(はっと)や
掟書(おきてがき)などを木の板札に書き、
人目のひくように高く掲げておく場所のことです。
甘南美寺近くの民家。
このような屋根を持った家は残念ながら、
車から見る分には2軒しかなかった。
それを載せたいと思う。
インターネットで大垣からそれほど遠くないお寺を探していたら、
かなり立派な建物が境内にいくつも揃っているお寺を見つけた。
それで行ってみたのである。
撮影:OLYMPUS OM-D E-M5、M.ZUIKO DIGITAL ED 14-150mm F4.0-5.6
甘南美寺の解説
甘南美寺(かんなみじ)は、岐阜県山県市長滝にある臨済宗妙心寺派の寺院である。
山号は白華山。本尊は千手観世音菩薩(秘仏)。
美濃三十三観音霊場第十三番札所。
美濃四国八十八札場第六十五番。美濃七福神(恵比寿)。
伊自良湖湖畔にある。
境内のエドヒガンザクラは、幹回り3.3m、樹高23m、樹齢は約350年といわれ、
県指定天然記念物である(甘南美寺のサクラ)。
旧本堂は戦国時代の建立といわれ、馬頭観音の信仰でも知られており、
公営競馬の関係者なども多数参詣している。
伝承によれば、鎌倉時代、高阿弥、那智阿弥の行者夫婦が
伊勢国で救世観音を授かり、
故郷の美濃国山県郡釜ヶ谷(現在の釜ヶ谷山、標高696m)山頂に
祀ったのが起源であるという。
それからしばらく後のある夜、伊勢国の漁師が漁を行っていると、
美濃国から眩い光が海を照らした。
その光により魚が全く釣れなくなったため、
漁師はその光の源を探そうと美濃国へ向かい、
その光が釜ヶ谷の観音像の光であることを突き止める。
漁師の話を聞いた夫婦は観音像を釜ヶ谷山頂から麓の長滝に移したという。
1570年(永禄13年)頃、白華山 甘南美寺として創建される。
山門
車が停めてあり、あまり目立たないように撮るために
角度が限られてしまう。
本堂
旧本堂
本堂
鐘楼
本堂
手前が旧本堂で、奥が本堂である。
山門
甘南美寺から少し戻ったところにあった、古い神社を撮影。
隣には昔、高札場があったらしく、今では石仏が設置されてあった。
高札場とは、幕府や領主が決めた法度(はっと)や
掟書(おきてがき)などを木の板札に書き、
人目のひくように高く掲げておく場所のことです。
甘南美寺近くの民家。
このような屋根を持った家は残念ながら、
車から見る分には2軒しかなかった。
コメント 0