風景写真、猫の写真など載せています。楽しんでもらえればと思います。
僕の写真紀行は容量いっぱいになりましたので、 僕の写真紀行2に移行します。 またよろしくお願いします。富山のイルミネーションと居酒屋 [富山関連]
今回は、富岩運河環水公園のイルミネーションと、
その後に行った富山の居酒屋「楽」の写真を載せたいと思います。
撮影:OLYMPUS PEN mini E-PM2、M.ZUIKO 14-42mm F3.5-5.6 II R
(富岩運河環水公園の解説)
富岩運河環水公園(ふがんうんがかんすいこうえん)は、富山県富山市湊入船町にある公園。
とやま都市MIRAI計画のシンボルゾーンとして、富岩運河の牛島町側の船だまりを整備した公園で、
市民の憩いの場として広く利用されている。
富山で泊まって(食べものなど) [富山関連]
土日、富山にある用事で出かけていた。
そのときに撮った写真を整理したので載せておきたいと思う。
遊びに行ったわけではないので、あまり枚数は撮れなかった。
ニコンのD7000用のマクロレンズAF-S DX Micro NIKKOR 40mm f/2.8Gを
買ったばかりだったので試し撮りのため持っていった。
撮影:RICOH GR DIGITAL IV
土曜日の昼食の弁当
弁当を食べ終わった後、ちょっとの時間散歩できたので
写真を撮った。
そのときに撮った写真を整理したので載せておきたいと思う。
遊びに行ったわけではないので、あまり枚数は撮れなかった。
ニコンのD7000用のマクロレンズAF-S DX Micro NIKKOR 40mm f/2.8Gを
買ったばかりだったので試し撮りのため持っていった。
撮影:RICOH GR DIGITAL IV
土曜日の昼食の弁当
弁当を食べ終わった後、ちょっとの時間散歩できたので
写真を撮った。
10月のある日 [富山関連]
10月の10日ごろの富山で撮影した何気ない写真である。
撮影:NEX-5 SEL30M35
雑誌で紹介されていた喫茶店に行って撮影したもの。
僕はサンドイッチがとても好きなので、喫茶ではよく注文する。
これはモーニングサービスのパンを撮ったもの。
ここからは植物園にて。
この日は天気もよく、気温も丁度よくてすごしやすい日だった。
撮影:NEX-5 SEL30M35
雑誌で紹介されていた喫茶店に行って撮影したもの。
僕はサンドイッチがとても好きなので、喫茶ではよく注文する。
これはモーニングサービスのパンを撮ったもの。
ここからは植物園にて。
この日は天気もよく、気温も丁度よくてすごしやすい日だった。
称名滝とその周辺 [富山関連]
今回は、富山の滝を紹介したいと思う。
落差が日本一の滝で、「称名滝」という。
昨年の6月に撮影。
選んだ写真はYou Tubeで見つけたある音楽を聴きながら
スライドショーで何度か見ていた。
その音楽は以下のもの。
(よろしかったら聴きながらどうぞ!)
撮影:Nikon D300
称名滝に向かう際に撮影。
立山町岩峅寺あたり
落差が日本一の滝で、「称名滝」という。
昨年の6月に撮影。
選んだ写真はYou Tubeで見つけたある音楽を聴きながら
スライドショーで何度か見ていた。
その音楽は以下のもの。
(よろしかったら聴きながらどうぞ!)
撮影:Nikon D300
称名滝に向かう際に撮影。
立山町岩峅寺あたり
国宝「瑞龍寺」 [富山関連]
今回は、富山で唯一の国宝である「瑞龍寺」の写真を載せたいと思う。
総門
瑞龍寺(ずいりゅうじ)は、富山県高岡市にある曹洞宗の仏教寺院。
山号を高岡山と称する。本尊は釈迦如来。
開基(創立者)は前田利常であり、
開山(初代住職)は広山恕陽(こうざんじょよう)である。
仏殿、法堂、山門の3棟が近世禅宗様建築の代表作として、
1997年に国宝に指定されている。
これは富山県下における初の国宝指定であり、
2009年現在も富山県唯一の国宝である。
加賀藩2代藩主前田利長(1562年ー1614年)が、織田信長・信忠らの追善のため、
文禄3年(1594年)金沢に創建した宝円寺(後に法円寺と改称)が瑞龍寺の前身である。
利長は慶長10年(1605年)、44歳の若さで家督を異母弟の利常(1594年 - 1658年)に譲り、
自らは隠居した。
利長には実子がなかったため、30歳以上年下の異母弟で、
当時まだ少年であった利常を養嗣子としたのである。
隠居後の利長は金沢から富山に移転するが、富山城の炎上を機に高岡に移り、
ここに新たに高岡城を築いた。前述の法円寺は、
利長死去の前年である慶長18年(1613年)、高岡に移された。
前田利長は慶長19年(1614年)没し、後を継いだ3代藩主前田利常は、
法円寺を利長の菩提寺とし、利長の法名瑞龍院に因んで寺名を「瑞龍院」と改めた。
(後、さらに「瑞龍寺」に改称)
前田利常は承応3年(1654年)から瑞龍院の伽藍の本格的整備に着手した。
(伽藍整備の開始は、利長の三十三回忌にあたる正保3年(1646年)からとする説もある。)
建築工事は、加賀藩お抱えの大工頭・山上善右衛門嘉広(代々「善右衛門」を名乗る)が
棟梁となって進められた。
山門、仏殿、法堂(はっとう)が一直線に並び、左右に回廊をめぐらして諸堂を
対称的に配置する伽藍配置は中国の径山万寿寺にならったものといい、
伽藍整備が完成したのは利長の五十回忌にあたる寛文3年(1663年)頃であった。
瑞龍寺は近世を通じて前田家の手厚い保護を受け、寺領三百石を有する大寺であった。
延享3年(1746年)の火災で山門を含む伽藍の前半部分が焼失し、
山門が再建されたのはそれから約70年後の文政3年(1820年)であった。
国宝
仏殿
棟札により万治2年(1659年)の竣工とわかる。
入母屋造、一重裳階(もこし)付きで、屋根は当初こけら葺きであったが、
現状は鉛瓦葺きとする。
鉛製の瓦を用いる理由は、俗説では非常時に鉄砲の弾にするためともいうが、
実際は冬季の積雪対策のためだという。内部を土間床とし、
天井の構造材を見せて装飾としている点、組物(柱上にあり、
軒や天井を支える構造材)を密に配する点などは禅宗様建築の特色であり、
柱、扉、窓などの細部様式も典型的な禅宗様になる。
法堂
墨書から明暦元年(1655年)の建立とわかる。
入母屋造、銅板葺き。内部を土間床とする仏殿に対し、
法堂は畳敷きで、横2列、縦3列の6部屋を配する方丈形式の間取りである。
手前の3部屋の前面には広縁(板間)があり、その前面は左右に細長い土間廊下とする。
こうした平面形式は曹洞宗建築の特色を示す。
山門
延享3年(1746年)の火災で焼失後、長らく仮の門が建てられていた。
現存する門は文政元年(1818年)に上棟、同3年(1820年)に竣工したものである。
二重門(2階建てで、上層と下層の境にも軒の出をつくるもの)で、
屋根は入母屋造、こけら葺き。
二重門では下層の屋根を上層よりも大きくつくることが多いが、
この門では上層と下層の屋根の出があまり変わらない。
これは積雪時に上層屋根から落下した雪が下層屋根に当たるのを防ぐためといわれる。
下層には金剛力士(仁王)像を安置、上層内部には釈迦如来と十六羅漢像を安置する。
重要文化財
総門
禅堂
大茶堂
高廊下
北回廊
南東回廊
南西回廊
紙本墨書後陽成院宸翰御消息
その他
絵画、墨蹟などの文化財を多数有する。
山門
総門
瑞龍寺(ずいりゅうじ)は、富山県高岡市にある曹洞宗の仏教寺院。
山号を高岡山と称する。本尊は釈迦如来。
開基(創立者)は前田利常であり、
開山(初代住職)は広山恕陽(こうざんじょよう)である。
仏殿、法堂、山門の3棟が近世禅宗様建築の代表作として、
1997年に国宝に指定されている。
これは富山県下における初の国宝指定であり、
2009年現在も富山県唯一の国宝である。
加賀藩2代藩主前田利長(1562年ー1614年)が、織田信長・信忠らの追善のため、
文禄3年(1594年)金沢に創建した宝円寺(後に法円寺と改称)が瑞龍寺の前身である。
利長は慶長10年(1605年)、44歳の若さで家督を異母弟の利常(1594年 - 1658年)に譲り、
自らは隠居した。
利長には実子がなかったため、30歳以上年下の異母弟で、
当時まだ少年であった利常を養嗣子としたのである。
隠居後の利長は金沢から富山に移転するが、富山城の炎上を機に高岡に移り、
ここに新たに高岡城を築いた。前述の法円寺は、
利長死去の前年である慶長18年(1613年)、高岡に移された。
前田利長は慶長19年(1614年)没し、後を継いだ3代藩主前田利常は、
法円寺を利長の菩提寺とし、利長の法名瑞龍院に因んで寺名を「瑞龍院」と改めた。
(後、さらに「瑞龍寺」に改称)
前田利常は承応3年(1654年)から瑞龍院の伽藍の本格的整備に着手した。
(伽藍整備の開始は、利長の三十三回忌にあたる正保3年(1646年)からとする説もある。)
建築工事は、加賀藩お抱えの大工頭・山上善右衛門嘉広(代々「善右衛門」を名乗る)が
棟梁となって進められた。
山門、仏殿、法堂(はっとう)が一直線に並び、左右に回廊をめぐらして諸堂を
対称的に配置する伽藍配置は中国の径山万寿寺にならったものといい、
伽藍整備が完成したのは利長の五十回忌にあたる寛文3年(1663年)頃であった。
瑞龍寺は近世を通じて前田家の手厚い保護を受け、寺領三百石を有する大寺であった。
延享3年(1746年)の火災で山門を含む伽藍の前半部分が焼失し、
山門が再建されたのはそれから約70年後の文政3年(1820年)であった。
国宝
仏殿
棟札により万治2年(1659年)の竣工とわかる。
入母屋造、一重裳階(もこし)付きで、屋根は当初こけら葺きであったが、
現状は鉛瓦葺きとする。
鉛製の瓦を用いる理由は、俗説では非常時に鉄砲の弾にするためともいうが、
実際は冬季の積雪対策のためだという。内部を土間床とし、
天井の構造材を見せて装飾としている点、組物(柱上にあり、
軒や天井を支える構造材)を密に配する点などは禅宗様建築の特色であり、
柱、扉、窓などの細部様式も典型的な禅宗様になる。
法堂
墨書から明暦元年(1655年)の建立とわかる。
入母屋造、銅板葺き。内部を土間床とする仏殿に対し、
法堂は畳敷きで、横2列、縦3列の6部屋を配する方丈形式の間取りである。
手前の3部屋の前面には広縁(板間)があり、その前面は左右に細長い土間廊下とする。
こうした平面形式は曹洞宗建築の特色を示す。
山門
延享3年(1746年)の火災で焼失後、長らく仮の門が建てられていた。
現存する門は文政元年(1818年)に上棟、同3年(1820年)に竣工したものである。
二重門(2階建てで、上層と下層の境にも軒の出をつくるもの)で、
屋根は入母屋造、こけら葺き。
二重門では下層の屋根を上層よりも大きくつくることが多いが、
この門では上層と下層の屋根の出があまり変わらない。
これは積雪時に上層屋根から落下した雪が下層屋根に当たるのを防ぐためといわれる。
下層には金剛力士(仁王)像を安置、上層内部には釈迦如来と十六羅漢像を安置する。
重要文化財
総門
禅堂
大茶堂
高廊下
北回廊
南東回廊
南西回廊
紙本墨書後陽成院宸翰御消息
その他
絵画、墨蹟などの文化財を多数有する。
山門
今咲く花 [富山関連]
今回は、7,8日撮影した今咲いている花を載せたい。
出先の白川郷、富山での撮影だ。
撮影:PENTAX K10D、TAMRON 18mm~200mm、sigma 70mm Macro F2.8
アヤメを撮影。
出先の白川郷、富山での撮影だ。
撮影:PENTAX K10D、TAMRON 18mm~200mm、sigma 70mm Macro F2.8
アヤメを撮影。
初夏の風景 [富山関連]
今回も富山に用事があって出かけたので、
その際に撮った初夏の風景を載せたいと思う。
枚数が50枚近くになるので、体力に自信のある方だけご覧ください。^^;
5/17撮影のせせらぎ街道の初夏の風景と
5/18撮影の富山と白川郷の初夏の風景を載せようと思う。
撮影:Nikon D200、NIKKOR AF18mm~200mm VR
日中は暑いので、清流の水を眺めていたくなる。
それにしても綺麗な水だ。
岩魚とかヤマメなど釣れるのだろう。
ここには釣り人がいた。
トロ場になっているので、好ポイントなのだろう。
その際に撮った初夏の風景を載せたいと思う。
枚数が50枚近くになるので、体力に自信のある方だけご覧ください。^^;
5/17撮影のせせらぎ街道の初夏の風景と
5/18撮影の富山と白川郷の初夏の風景を載せようと思う。
撮影:Nikon D200、NIKKOR AF18mm~200mm VR
日中は暑いので、清流の水を眺めていたくなる。
それにしても綺麗な水だ。
岩魚とかヤマメなど釣れるのだろう。
ここには釣り人がいた。
トロ場になっているので、好ポイントなのだろう。
農業の見える風景 [富山関連]
土日は用事があって富山に出かけていた。
土曜日は漁村風景が撮れればと思って、東尋坊から海に出て北上して富山に向かったが
思っていたような風景を探すことはできなかった。
だから載せることのできる写真はない。
撮影:Nikon D200、NIKKOR AF18mm~200mm VR
まずは土曜日撮影の東尋坊の近くの海岸風景
土曜日は漁村風景が撮れればと思って、東尋坊から海に出て北上して富山に向かったが
思っていたような風景を探すことはできなかった。
だから載せることのできる写真はない。
撮影:Nikon D200、NIKKOR AF18mm~200mm VR
まずは土曜日撮影の東尋坊の近くの海岸風景