風景写真、猫の写真など載せています。楽しんでもらえればと思います。
僕の写真紀行は容量いっぱいになりましたので、 僕の写真紀行2に移行します。 またよろしくお願いします。隠れ里の風景(菅浦) [琵琶湖・余呉湖]
(今回のBGM)
こんにちは、minsukeです。
今回は、滋賀県の西浅井町にある菅浦のかくれ里を載せたいと思います。
撮影:OLYMPUS OM-D E-M5、M.ZUIKO ED 14-150mm F4.0-5.6
菅浦に入る前に、マキノ町西浜に来ています。
歴史のある店構えに惹かれて撮影しました。
船着場があります。
こんにちは、minsukeです。
今回は、滋賀県の西浅井町にある菅浦のかくれ里を載せたいと思います。
撮影:OLYMPUS OM-D E-M5、M.ZUIKO ED 14-150mm F4.0-5.6
菅浦に入る前に、マキノ町西浜に来ています。
歴史のある店構えに惹かれて撮影しました。
船着場があります。
秋の湖 [琵琶湖・余呉湖]
近江八幡・船の旅(沖島)総合版 [琵琶湖・余呉湖]
今回は、近江八幡から沖島に船で渡って旅をしたので、
その写真を載せたいと思う。
まずは沖島の説明から。
滋賀県近江八幡市沖島町に属する。
約450人が居住する有人島で、島の南西部に集落が形成されている。
市立小学校や郵便局なども設置されている。
淡水湖に浮かぶ島に人が住んでいるという例は日本では唯一。
観光案内などでは世界的に見ても珍しいとされることがあるが、
実際には世界各地に湖上の有人島は数多くある。
島では自家用車並みに、一軒に一隻以上の船が所有されている。
戦国時代には琵琶湖水運の重要拠点としてここに関所が設置されていた。
ここを通過する船は陸上の関所と同様に関銭を徴収される代わりに
沖島の住民によって航行の安全が保証されていた。
この島の関所は当初は六角氏の影響下にあったが、
後に本願寺系の自治都市堅田の保護を受け、
更に織田信長の近江平定に従って関所の存続が特に許され、
豊臣政権下の天正13年(1585年)頃まで存在していた。
近江八幡休暇村近くの駐車場に車を停めて、
そこから船の出る堀切港まで歩いた。
10分ほどで着いた。
ここからの撮影:Nikon D7000、 NIKKOR 18-105mm f/3.5-5.6G ED VR
片道500円で近江八幡と沖島の間を運行している。
沖島に到着した。
船の窓越しに撮影。
午前8時ぐらいなので、景色がとても綺麗に見えた。
近江八幡・船の旅(沖島)2部 [琵琶湖・余呉湖]
(今回のBGM)
島内には車はないので、
車椅子の方などを乗せるためにこのような乗り物を使っているようだ。
ここからの撮影:Nikon D7000、 NIKKOR 18-105mm f/3.5-5.6G ED VR
木陰に猫がいた。
人懐っこくてニャーニャーと言って近寄ってきた。
島内には車はないので、
車椅子の方などを乗せるためにこのような乗り物を使っているようだ。
ここからの撮影:Nikon D7000、 NIKKOR 18-105mm f/3.5-5.6G ED VR
木陰に猫がいた。
人懐っこくてニャーニャーと言って近寄ってきた。
近江八幡・船の旅(沖島)1部 [琵琶湖・余呉湖]
(今回のBGM)
今回は、近江八幡から沖島に船で渡って旅をしたので、
その写真を載せたいと思う。
枚数が多いので、3回ほどに分けます。
まずは沖島の説明から。
滋賀県近江八幡市沖島町に属する。
約450人が居住する有人島で、島の南西部に集落が形成されている。
市立小学校や郵便局なども設置されている。
淡水湖に浮かぶ島に人が住んでいるという例は日本では唯一。
観光案内などでは世界的に見ても珍しいとされることがあるが、
実際には世界各地に湖上の有人島は数多くある。
島では自家用車並みに、一軒に一隻以上の船が所有されている。
戦国時代には琵琶湖水運の重要拠点としてここに関所が設置されていた。
ここを通過する船は陸上の関所と同様に関銭を徴収される代わりに
沖島の住民によって航行の安全が保証されていた。
この島の関所は当初は六角氏の影響下にあったが、
後に本願寺系の自治都市堅田の保護を受け、
更に織田信長の近江平定に従って関所の存続が特に許され、
豊臣政権下の天正13年(1585年)頃まで存在していた。
近江八幡休暇村近くの駐車場に車を停めて、
そこから船の出る堀切港まで歩いた。
10分ほどで着いた。
ここからの撮影:Nikon D7000、 NIKKOR 18-105mm f/3.5-5.6G ED VR
片道500円で近江八幡と沖島の間を運行している。
沖島に到着した。
船の窓越しに撮影。
午前8時ぐらいなので、景色がとても綺麗に見えた。
どんな場所でも言えることだが、10時ぐらいを過ぎるとつまらない景色になる。
今回は、近江八幡から沖島に船で渡って旅をしたので、
その写真を載せたいと思う。
枚数が多いので、3回ほどに分けます。
まずは沖島の説明から。
滋賀県近江八幡市沖島町に属する。
約450人が居住する有人島で、島の南西部に集落が形成されている。
市立小学校や郵便局なども設置されている。
淡水湖に浮かぶ島に人が住んでいるという例は日本では唯一。
観光案内などでは世界的に見ても珍しいとされることがあるが、
実際には世界各地に湖上の有人島は数多くある。
島では自家用車並みに、一軒に一隻以上の船が所有されている。
戦国時代には琵琶湖水運の重要拠点としてここに関所が設置されていた。
ここを通過する船は陸上の関所と同様に関銭を徴収される代わりに
沖島の住民によって航行の安全が保証されていた。
この島の関所は当初は六角氏の影響下にあったが、
後に本願寺系の自治都市堅田の保護を受け、
更に織田信長の近江平定に従って関所の存続が特に許され、
豊臣政権下の天正13年(1585年)頃まで存在していた。
近江八幡休暇村近くの駐車場に車を停めて、
そこから船の出る堀切港まで歩いた。
10分ほどで着いた。
ここからの撮影:Nikon D7000、 NIKKOR 18-105mm f/3.5-5.6G ED VR
片道500円で近江八幡と沖島の間を運行している。
沖島に到着した。
船の窓越しに撮影。
午前8時ぐらいなので、景色がとても綺麗に見えた。
どんな場所でも言えることだが、10時ぐらいを過ぎるとつまらない景色になる。
雪景色と猫といただき物のご紹介 [琵琶湖・余呉湖]
今回は、余呉湖とその周辺の山里の雪景色を載せたいと思う。
撮影:Nikon D90、NIKKOR AF18mm~105mm VR
余呉湖にて。
撮影:Nikon D90、NIKKOR AF18mm~105mm VR
余呉湖にて。
初冬の山里と湖畔の風景 [琵琶湖・余呉湖]
今回は、余呉湖周辺の風景を載せたいと思う。
撮影:PENTAX K-7、smc PENTAX-DA 18-135mmF3.5-5.6ED WR
まずは余呉湖からほど近い山里の風景より。
撮影:PENTAX K-7、smc PENTAX-DA 18-135mmF3.5-5.6ED WR
まずは余呉湖からほど近い山里の風景より。
初冬の湖畔 [琵琶湖・余呉湖]
今回は、少しばかり余呉湖で撮影した初冬の風景を載せたいと思う。
(今回のBGM)
撮影:PENTAX K-7、smc PENTAX-DA 18-135mm F3.5-5.6ED
(今回のBGM)
撮影:PENTAX K-7、smc PENTAX-DA 18-135mm F3.5-5.6ED
タチアオイと猫など [琵琶湖・余呉湖]
今回も過去の画像から。
ここのところ撮影しにどこかに出かけることができないので、
以前撮った写真から載せているが、もうすでにネタ切れになっている。
それで寄せ集めて少しばかり載せたいと思う。
タチアオイ
ネムノキ
ここのところ撮影しにどこかに出かけることができないので、
以前撮った写真から載せているが、もうすでにネタ切れになっている。
それで寄せ集めて少しばかり載せたいと思う。
タチアオイ
ネムノキ
琵琶湖(みずの森など) [琵琶湖・余呉湖]
石山寺を後にして、次に向かったのは琵琶湖の烏丸半島にある
みずの森であった。
そのすぐ隣の琵琶湖畔には日本でも有数の花蓮の群生地があることで
知られている。
石山寺からみずの森に向かう際に撮影。
石山寺からすぐ近くにある瀬田の唐橋。
(瀬田の唐橋の解説)
瀬田の唐橋(せたのからはし)は、滋賀県大津市瀬田の瀬田川にかかる橋。
全長260m。滋賀県道2号大津能登川長浜線がこの橋を渡る。
勢多の唐橋とも書き、瀬田の長橋とも言われる。
宇治橋、山崎橋とならんで日本三名橋・日本三古橋の一つとされ、
歌川広重の『近江八景』のうち『瀬田夕照』はこの橋の風景を描いたものである。
また、日本の道100選にも選ばれている。
琵琶湖から注ぎ出る川は瀬田川しかなく、
東から京都へ向かうには瀬田川か琵琶湖を渡るしかない。
瀬田川にかかる唯一の橋であった瀬田の唐橋は京都防衛上の重要地であったことから、
古来より「唐橋を制する者は天下を制す」と言われた。
本格的には近江大津宮遷都の時に架橋されたと考えられるが、
当時は現在の位置より65m南の龍王社・雲住寺を東端としていた。
みずの森であった。
そのすぐ隣の琵琶湖畔には日本でも有数の花蓮の群生地があることで
知られている。
石山寺からみずの森に向かう際に撮影。
石山寺からすぐ近くにある瀬田の唐橋。
(瀬田の唐橋の解説)
瀬田の唐橋(せたのからはし)は、滋賀県大津市瀬田の瀬田川にかかる橋。
全長260m。滋賀県道2号大津能登川長浜線がこの橋を渡る。
勢多の唐橋とも書き、瀬田の長橋とも言われる。
宇治橋、山崎橋とならんで日本三名橋・日本三古橋の一つとされ、
歌川広重の『近江八景』のうち『瀬田夕照』はこの橋の風景を描いたものである。
また、日本の道100選にも選ばれている。
琵琶湖から注ぎ出る川は瀬田川しかなく、
東から京都へ向かうには瀬田川か琵琶湖を渡るしかない。
瀬田川にかかる唯一の橋であった瀬田の唐橋は京都防衛上の重要地であったことから、
古来より「唐橋を制する者は天下を制す」と言われた。
本格的には近江大津宮遷都の時に架橋されたと考えられるが、
当時は現在の位置より65m南の龍王社・雲住寺を東端としていた。
琵琶湖と余呉湖 [琵琶湖・余呉湖]
今回は、琵琶湖と余呉湖周辺の風景を載せたいと思う。
(タムロンの高倍率ズームと安価なPLフィルター使用のため、すっきりしない画像が多いです。^^;)
余呉湖にて撮影。
紫陽花がいい状態で咲いていて、撮影しに来ている人が何人もいた。
(タムロンの高倍率ズームと安価なPLフィルター使用のため、すっきりしない画像が多いです。^^;)
余呉湖にて撮影。
紫陽花がいい状態で咲いていて、撮影しに来ている人が何人もいた。
琵琶湖・余呉湖の風景(後編) [琵琶湖・余呉湖]
昨日に引き続き琵琶湖と余呉湖の風景を載せたい。
湖畔の風景は、とても風情がある。
琵琶湖も余呉湖も手付かずの自然が残されている。
子供だったときに池や沼を見て感じたイメージを思い出して撮影してみた。
湖畔の風景は、とても風情がある。
琵琶湖も余呉湖も手付かずの自然が残されている。
子供だったときに池や沼を見て感じたイメージを思い出して撮影してみた。