風景写真、猫の写真など載せています。楽しんでもらえればと思います。
僕の写真紀行は容量いっぱいになりましたので、 僕の写真紀行2に移行します。 またよろしくお願いします。早春の鯖街道(総合版) [福井県]
鯖街道を久しぶりに走ってきた。
桜も咲き始めているかと期待したが、
小浜以外はまだ全然であった。
僕はひなびた民家の佇まいが好きで、
今までにも2回ほど撮影して載せている。
興味のある方は以前のも見ていただけたらと思う。
撮影:PENTAX K-5、smc PENTAX-DA 18-135mmF3.5-5.6ED WR
(まだ買って間もないので、赤みのある画像に悩まされている。
微調整をしながら、早く最適な色に近づけたいと思っているところ。
なので今回ちょっと不自然な色合いのものがあります。)
(鯖街道の解説)
鯖街道(さばかいどう)とは、嶺南地方で獲れた魚介類を
京都に運ぶために整備された街道の歴史的名称。
その魚介類の中でも、特に鯖が多かったため、
「鯖街道」と言われるようになった。
現在の福井県小浜市から京都市左京区出町柳までの区間を指し、
国道27号(小浜市~若狭町上中)、国道303号(若狭町上中~高島市保坂)、
国道367号(高島市朽木~京都市左京区)にあたる
(往時の鯖街道は現在の国道367号ではなく、大見尾根を経由する山道であった)。
なお、広義では若狭地方から京都へ海産物を運んだ街道全てを鯖街道と呼ぶ。
若狭湾で取れた鯖に塩をまぶし、夜も寝ないで京都まで運ぶと、
ちょうど良い味になっていたと言われ、京の一般庶民にまで喜ばれ、
その到着を待ち望まれたために、
これを運ぶ道にいつしか鯖街道の名が付けられた。
運ぶ人達は「京は遠ても十八里」と唄いながら寝ずに歩き通した。
現在も国道367号沿線には、鯖寿司を生業とした店が多数存在する。
また、小浜市から京都市(左京区出町柳)までを
当時のルートで走り通す「鯖街道マウンテンマラソン」(距離:76km)が
毎年開催されている。
ルートの大半が未舗装路であり、高低差も大きいことから、
別名「ウルトラ山岳マラソン鯖街道マラニック(マラソン+ピクニック)」とも呼ばれる。
現在の日本は、多くのサバをノルウェーから輸入している。
これを指して、ノルウェーから日本への空路を「現代の鯖街道」と呼ぶ人もいる。
なお、現在は塩をまぶすのではなく冷凍で送られており、
アニサキスの心配はない。
花折峠を過ぎた辺りの葛川にて撮影。
明王院の近く
町居町にて。
安曇川の川辺にて。
安曇川
朽木
興聖寺にて。
朽木村岩瀬に残る興聖寺の庭園は、将軍の居館のために作られた名勝。
春は散椿が、秋には散紅葉が苔むした古岩を鮮やかに彩る。
保坂村にて。
熊川宿
室町時代に沼田氏が山城を築いた地にあり、
天正17年(1589年)に小浜城主浅野長政が
江若を結ぶ街道の宿場町として整備した。
その後は江戸時代を通して鯖街道随一の宿場町として繁栄した。
近代以降はモータリゼーションの影響で旧街道は衰退し、
近年の戸数はピークである江戸時代中期の約半分になった。
そのため当地域は再開発されることなく古い町並みが残り、
1996年に重要伝統的建造物群保存地区に選定される。
その後、古建築を活用した資料館、食事処、喫茶店、雑貨店、
また道の駅若狭熊川宿が開設され、
さらに80年間途絶えていた祭り「てっせん踊り」が復活するなど、
観光地として発展を始めている。
赤い橋を渡ると国宝の明通寺がある。
(明通寺の解説)
明通寺(みょうつうじ)は、福井県小浜市門前にある真言宗御室派の寺院。
本尊は薬師如来。
大同元年(806年)、坂上田村麻呂によって創建されたと伝えられる。
本堂と三重塔は国宝に指定されている。
(福井には国宝は2つしかなく、それがこの寺の本堂と三重塔である。)
熊川から小浜に向かう街道の南。
松永川と遠敷川の2つの川が出合う地域は、遠敷(おにゆう)の里と呼ばれる。
遠敷(おにゆう)にあるこの名刹は、深い杉木立に包まれ、
古色を帯びた伽藍が立ち並ぶ。
古代からの里、遠敷(おにゆう)を中心とする小浜界隈には、奈良時代創建の
多田寺や羽賀寺をはじめ、130を超える寺院が文字通り林立する。
まさに小浜は、「海のある奈良」という言葉にふさわしい、
仏教文化が花開いた「浄土」であった。
本堂は改修中なので、三重塔しか撮れなかった。
小浜の桜
過去の鯖街道の記事は、
鯖街道:郷愁の山里を巡りて
鯖街道:郷愁の旅
紅葉(小浜、養老の滝)
桜も咲き始めているかと期待したが、
小浜以外はまだ全然であった。
僕はひなびた民家の佇まいが好きで、
今までにも2回ほど撮影して載せている。
興味のある方は以前のも見ていただけたらと思う。
撮影:PENTAX K-5、smc PENTAX-DA 18-135mmF3.5-5.6ED WR
(まだ買って間もないので、赤みのある画像に悩まされている。
微調整をしながら、早く最適な色に近づけたいと思っているところ。
なので今回ちょっと不自然な色合いのものがあります。)
(鯖街道の解説)
鯖街道(さばかいどう)とは、嶺南地方で獲れた魚介類を
京都に運ぶために整備された街道の歴史的名称。
その魚介類の中でも、特に鯖が多かったため、
「鯖街道」と言われるようになった。
現在の福井県小浜市から京都市左京区出町柳までの区間を指し、
国道27号(小浜市~若狭町上中)、国道303号(若狭町上中~高島市保坂)、
国道367号(高島市朽木~京都市左京区)にあたる
(往時の鯖街道は現在の国道367号ではなく、大見尾根を経由する山道であった)。
なお、広義では若狭地方から京都へ海産物を運んだ街道全てを鯖街道と呼ぶ。
若狭湾で取れた鯖に塩をまぶし、夜も寝ないで京都まで運ぶと、
ちょうど良い味になっていたと言われ、京の一般庶民にまで喜ばれ、
その到着を待ち望まれたために、
これを運ぶ道にいつしか鯖街道の名が付けられた。
運ぶ人達は「京は遠ても十八里」と唄いながら寝ずに歩き通した。
現在も国道367号沿線には、鯖寿司を生業とした店が多数存在する。
また、小浜市から京都市(左京区出町柳)までを
当時のルートで走り通す「鯖街道マウンテンマラソン」(距離:76km)が
毎年開催されている。
ルートの大半が未舗装路であり、高低差も大きいことから、
別名「ウルトラ山岳マラソン鯖街道マラニック(マラソン+ピクニック)」とも呼ばれる。
現在の日本は、多くのサバをノルウェーから輸入している。
これを指して、ノルウェーから日本への空路を「現代の鯖街道」と呼ぶ人もいる。
なお、現在は塩をまぶすのではなく冷凍で送られており、
アニサキスの心配はない。
花折峠を過ぎた辺りの葛川にて撮影。
明王院の近く
町居町にて。
安曇川の川辺にて。
安曇川
朽木
興聖寺にて。
朽木村岩瀬に残る興聖寺の庭園は、将軍の居館のために作られた名勝。
春は散椿が、秋には散紅葉が苔むした古岩を鮮やかに彩る。
保坂村にて。
熊川宿
室町時代に沼田氏が山城を築いた地にあり、
天正17年(1589年)に小浜城主浅野長政が
江若を結ぶ街道の宿場町として整備した。
その後は江戸時代を通して鯖街道随一の宿場町として繁栄した。
近代以降はモータリゼーションの影響で旧街道は衰退し、
近年の戸数はピークである江戸時代中期の約半分になった。
そのため当地域は再開発されることなく古い町並みが残り、
1996年に重要伝統的建造物群保存地区に選定される。
その後、古建築を活用した資料館、食事処、喫茶店、雑貨店、
また道の駅若狭熊川宿が開設され、
さらに80年間途絶えていた祭り「てっせん踊り」が復活するなど、
観光地として発展を始めている。
赤い橋を渡ると国宝の明通寺がある。
(明通寺の解説)
明通寺(みょうつうじ)は、福井県小浜市門前にある真言宗御室派の寺院。
本尊は薬師如来。
大同元年(806年)、坂上田村麻呂によって創建されたと伝えられる。
本堂と三重塔は国宝に指定されている。
(福井には国宝は2つしかなく、それがこの寺の本堂と三重塔である。)
熊川から小浜に向かう街道の南。
松永川と遠敷川の2つの川が出合う地域は、遠敷(おにゆう)の里と呼ばれる。
遠敷(おにゆう)にあるこの名刹は、深い杉木立に包まれ、
古色を帯びた伽藍が立ち並ぶ。
古代からの里、遠敷(おにゆう)を中心とする小浜界隈には、奈良時代創建の
多田寺や羽賀寺をはじめ、130を超える寺院が文字通り林立する。
まさに小浜は、「海のある奈良」という言葉にふさわしい、
仏教文化が花開いた「浄土」であった。
本堂は改修中なので、三重塔しか撮れなかった。
小浜の桜
過去の鯖街道の記事は、
鯖街道:郷愁の山里を巡りて
鯖街道:郷愁の旅
紅葉(小浜、養老の滝)
2011-04-11 10:29
nice!(6)
コメント(3)
最初のほうで少し雪が残ってるところがありますね。
うちはまだもう少し多めに残ってます。
お花見のブルーシートもなぜか懐かしい(笑)
by そらまめ (2011-04-11 15:26)
日本の原風景、堪能しました。シャッター音が聞こえてくるようですね。
桜もうこんなに咲いてるんですね。
by マリエ (2011-04-11 22:46)
屋根の側面に屋号?紋?が付いてる。。。
古い風習が残ってるところなのでしょうね。
水は…屋号でもなんでもなく、火事を防ぐ…と言うことなのでしょうか?
by koume (2011-04-12 22:31)