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風景写真、猫の写真など載せています。楽しんでもらえればと思います。

僕の写真紀行は容量いっぱいになりましたので、 僕の写真紀行2に移行します。 またよろしくお願いします。

金剛輪寺の紅葉 [滋賀県・紅葉]

今回は、滋賀県の金剛輪寺の紅葉を載せたいと思う。




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三脚は使えないので、一脚で撮影した。

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金剛輪寺本堂

金剛輪寺(こんごうりんじ)は、滋賀県愛知郡愛荘町にある天台宗の寺院。
山号は松峯山(しょうほうざん)。地名から松尾寺ともいう。
本尊は聖観音、開基(創立者)は行基とされる。
西明寺、百済寺(ひゃくさいじ)とともに湖東三山の1つに数えられる。

琵琶湖の東、鈴鹿山脈の西山腹に位置する金剛輪寺は、
奈良時代の僧・行基の開創と伝える。
行基は河内国家原(現・大阪府堺市)の出身で、
出身地の河内を中心に多くの寺を建て、
架橋、治水灌漑などの社会事業にも尽くし、
民衆の絶大な支持を得ていたとされる。
行基の開創を伝える寺院は現在の大阪府や奈良県を中心に各地に多いが、
当寺もその1つである。
行基がこの地に一寺を建立したのは、文献によって天平9年(737年)とも言い、
あるいは天平13年(741年)とも伝える。
その後、平安時代前期の嘉承年間(848-851年)には
天台宗の高僧・慈覚大師円仁によって再興されたと伝え、
寺では円仁を中興の祖としている。
行基の創建伝承についてはどこまで史実を伝えるものか定かでないが、
当初は観音を祀る小堂であったものが、
平安時代に入って近江国の多くの寺院と同様、
比叡山延暦寺の勢力下に入り、天台寺院として発展したものと思われる。
また、金剛輪寺の所在地は、昭和の市町村合併以前は秦川村といったことから、
渡来系氏族の秦氏とも何らかの関係があるとみられている。
平安時代から中世にかけての金剛輪寺の歴史は必ずしも明らかでないが、
寺内には平安時代後期から鎌倉時代の仏像が多く残り、
現存する本堂は、弘安11年(1288年)、
近江守護佐々木頼綱の寄進を得て建てられたもので、
この頃の金剛輪寺はかなりの規模をもっていたと思われる。
天正元年(1573年)、織田信長の兵火で湖東三山の1つである百済寺は全焼し、
金剛輪寺も被害を受けるが、現存の本堂、三重塔は
寺僧の尽力で焼失をまぬがれたという。
当寺の本堂をはじめとする中心堂宇は
総門や本坊のある地点から数百メートルの石段を上ったはるか奥にあるため、
見落とされ、焼き討ちをまぬがれたのではないかという説もある。

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金剛輪寺三重塔

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鐘楼

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撮影:Nikon D300


コメント(1) 
共通テーマ:旅行

コメント 1

soichiro

これはもしかして、ベストな時期での撮影だったのではないでしょうか。
どれもきれいな紅葉ですね。
5枚目、すてきです。
by soichiro (2009-11-18 16:12) 

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