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風景写真、猫の写真など載せています。楽しんでもらえればと思います。

僕の写真紀行は容量いっぱいになりましたので、 僕の写真紀行2に移行します。 またよろしくお願いします。

夏景色その6(清水寺と石山寺) [夏景色シリーズ]

今回は、主に京都の清水寺と滋賀県の石山寺の夏風景を載せたいと思う。

昨年の7月半ばに猛暑の中、バイクで出かけて撮影している。


(今回のBGM)



撮影:PENTAX K20D



清水寺にて。

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本堂を撮影。

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清水寺参道にて。

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八坂の塔が見えている。

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京都を後にして滋賀県の石山寺に向かった。

その際に、瀬田川にて撮影。

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(石山寺の解説)

石山寺(いしやまでら)は、滋賀県大津市石山寺1丁目にある東寺真言宗の寺院。
本尊は如意輪観音、開基(創立者)は良弁(ろうべん)である。
石山寺は、京都の清水寺や奈良県の長谷寺と並ぶ、日本でも有数の観音霊場で、
西国三十三箇所観音霊場第13番札所となっている。
石山寺は『蜻蛉日記』『更級日記』『枕草子』などの文学作品にも登場し、
『源氏物語』の作者紫式部は石山寺参篭の折に物語の着想を得たとする伝承がある。
「近江八景」の1つ「石山秋月」でも知られる。

石山寺は、琵琶湖の南端近くに位置し、琵琶湖から唯一流れ出る瀬田川の右岸にある。
本堂は国指定天然記念物の珪灰石(「石山寺硅灰石」)という巨大な岩盤の上に建ち、
これが寺名の由来ともなっている。
『石山寺縁起』によれば、聖武天皇の発願により、天平19年(747年)、
良弁(ろうべん、東大寺開山・別当)が聖徳太子の念持仏であった如意輪観音を
この地に祀ったのがはじまりとされている。
聖武天皇は東大寺大仏の造立にあたり、像の表面に鍍金(金メッキ)を施すために
大量の黄金を必要としていた。
そこで良弁に命じて、黄金が得られるよう、吉野の金峯山(きんぷせん)に祈らせた。
金峯山はその名の通り、「金の山」と信じられていたようである。
そうしたところ、良弁の夢に吉野の金剛蔵王(蔵王権現)が現われ、こう告げた。
「金峯山の黄金は、(56億7千万年後に)弥勒菩薩がこの世に現われた時に
地を黄金で覆うために用いるものである(だから大仏鍍金のために使うことはできない)。
近江国志賀郡の湖水の南に観音菩薩の現われたまう土地がある。
そこへ行って祈るがよい」。
夢のお告げにしたがって石山の地を訪れた良弁は比良明神の化身である老人に導かれ、
巨大な岩の上に聖徳太子念持仏の6寸の金銅如意輪観音像を安置し、草庵を建てた。
その2年後、実際に陸奥国から黄金が産出され、元号を天平勝宝と改めた。
こうして良弁の修法は無事に効果を現わしたわけだが、
如意輪観音像がどうしたわけか岩山から離れなくなってしまった。
やむなく、如意輪観音像を覆うように堂を建てたのが石山寺の草創という。
現在の本堂は永長元年(1096年)の再建。東大門、多宝塔は鎌倉時代初期、
源頼朝の寄進により建てられたものとされ、
この頃には現在見るような寺観が整ったと思われる。
石山寺は兵火に遭わなかったため、建造物、仏像、経典、文書などの
貴重な文化財を多数伝存している。

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高台からの眺望

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石山寺はここまで。

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石山寺からすぐ近くにある瀬田の唐橋。

(瀬田の唐橋の解説)

瀬田の唐橋(せたのからはし)は、滋賀県大津市瀬田の瀬田川にかかる橋。
全長260m。滋賀県道2号大津能登川長浜線がこの橋を渡る。
勢多の唐橋とも書き、瀬田の長橋とも言われる。
宇治橋、山崎橋とならんで日本三名橋・日本三古橋の一つとされ、
歌川広重の『近江八景』のうち『瀬田夕照』はこの橋の風景を描いたものである。
また、日本の道100選にも選ばれている。

琵琶湖から注ぎ出る川は瀬田川しかなく、
東から京都へ向かうには瀬田川か琵琶湖を渡るしかない。
瀬田川にかかる唯一の橋であった瀬田の唐橋は京都防衛上の重要地であったことから、
古来より「唐橋を制する者は天下を制す」と言われた。
本格的には近江大津宮遷都の時に架橋されたと考えられるが、
当時は現在の位置より65m南の龍王社・雲住寺を東端としていた。

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大津の街が見えている。

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琵琶湖の烏丸半島のみずの森にて。

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園内では、熱中症に気をつけるようにとアナウンスされていた。

気温は35度以上でアスファルトの照り返しなど考えると

40度ほどあったかもしれない。

その夏一番の暑さだった。

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バイクには、湖水を渡る涼しい風が気持ちよかった。

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