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風景写真、猫の写真など載せています。楽しんでもらえればと思います。

僕の写真紀行は容量いっぱいになりましたので、 僕の写真紀行2に移行します。 またよろしくお願いします。

古寺を巡りて(総合版) [滋賀県古寺シリーズ]

今回は、滋賀の古寺を載せたいと思う。

写真は90枚ほど。

百済寺、太郎坊宮、桑実寺、観音正寺を巡っている。




最初に行ったのは百済寺だった。

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仁王門を撮影。

(百済寺の解説)

百済寺(ひゃくさいじ)は、滋賀県東近江市にある天台宗の寺院。
山号を釈迦山と称する。本尊は十一面観音、開基(創立者)は聖徳太子とされる。
金剛輪寺、西明寺とともに「湖東三山」の1つとして知られる。

琵琶湖の東、鈴鹿山脈の西山腹に位置する。
寺伝によれば、推古天皇14年(606年)、聖徳太子の建立という。
聖徳太子は当時来朝していた高麗(高句麗)の僧・恵慈(えじ)とともに
この地に至った時、山中に不思議な光を見た。
その光の元を訪ねて行くと、それは霊木の杉であった。
太子はその杉を、根が付いた立ち木のまま刻んで十一面観音の像を作り、
像を囲むように堂を建てた。
これが百済寺の始まりであるといい、
百済の龍雲寺にならって寺を建てたので百済寺と号したという。
百済寺の史料上の初見は11世紀の寛治3年(1089年)であり、
聖徳太子創建との伝承がどこまで史実を反映したものかは不明であるが、
百済寺という寺号から見て、
この寺は渡来系氏族の氏寺として開創された可能性が高い。
平安時代には、近江国の多くの寺院と同様、比叡山延暦寺の勢力下に入り、
天台宗の寺院となっている。

平安時代から中世にかけて、かなりの規模をもった寺院だったようだが、
明応7年(1498年)の火災で全焼し、その数年後の文亀3年(1503年)の兵火でも焼け、
この2回の火災で創建以来の建物ばかりでなく、
仏像、寺宝、記録類なども大方焼けてしまった。
さらに天正元年(1573年)には織田信長の焼き討ちに遭い、またも全焼している。
当時、この地に勢力をもっていた佐々木氏の一族六角氏は、
観音寺城の支城である鯰江城(なまずえじょう)を百済寺の近くに築いていた。
信長は自分と敵対していた佐々木氏に味方するものとして、
百済寺を焼き討ちした。
本堂をはじめ現在の建物は近世以降の再興である。

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本堂

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本尊の十一面観音像

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余韻が長く音色の美しい鐘で知られている。

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百済寺の庭園

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百済寺はここまで。

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次に行ったのは太郎坊宮だった。

(太郎坊宮の解説)

阿賀神社(あがじんじゃ)は、滋賀県東近江市にある神社である。
太郎坊宮(たろうぼうのみや)、太郎坊阿賀神社の通称で知られている。
旧社格は村社で、現在は神社本庁の別表神社。
正哉吾勝勝速日天忍穂耳命を祀る。
欽明天皇の時代、聖徳太子が箕作山に瓦屋寺を創建したときに
霊験があって創建されたと伝える。
後に伝教大師が参篭し、社殿・社坊を献じたという。
山岳信仰の霊地として多くの修験者が参篭した。
その修験者の守護神とされたのが「太郎坊の天狗」で、
現在も神社の守護神とされる。


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下の駐車場に車を置いて歩いて上ってみた。

歩かずにすむ山上の駐車場もある。

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多くの石段を上ってきたので、見晴らしがいい。

蒲生野が見渡すことができる。

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本殿前にある夫婦岩は、神の神通力によって開かれたと伝えられ、
悪心のある者が間を通ると挟まれるとされる。

今回はこれが見たくて訪ねてみた。

白州正子の著書で紹介されていた。

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太郎坊宮を後にして次に向かったのは桑実寺だった。

桑実寺の登り口にて。

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桑実寺は延々と石段が続いていて、きつかった。

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桑実寺本堂

(桑実寺の解説)

桑実寺(くわのみでら)は滋賀県蒲生郡安土町にある天台宗の寺院。
山号は繖山(きぬがさやま)、本尊は薬師如来、開山は定恵(じょうえ)。
別名桑峰薬師。

標高433メートルの繖山(観音寺山)の中腹にあり、
西国三十三箇所観音霊場の32番札所である観音正寺へと登る途上に位置する。
寺伝では、天智天皇の四女、阿閉(あべ)皇女(元明天皇)の病気回復を
僧に祈らせたところ、琵琶湖から薬師如来が降臨し、
阿閉皇女の病気を治して去り、それに感激した天智天皇の勅願により、
藤原鎌足の長男、定恵が白鳳6年(677年)に創建したと伝えられている。
寺名は、定恵が唐から持ち帰った桑の実をこの地の農家にて栽培し、
日本で最初に養蚕を始めたことに由来する。
1532年には室町幕府13代将軍足利義晴が、ここに仮の幕府を設置。
一時期荒廃していたが1576年、織田信長によって保護された。
1582年には、安土城の女中たちが信長の留守中に禁足を破って
参拝に訪れたことを信長が咎めて、
女中たちと擁護した桑実寺の高僧たちを殺害するという事件が起きた。

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本尊は撮影していない。

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脇の階段を上って、山道を40~50分ほど歩くと観音正寺に着く。

荒れた山道で上り坂なのでこれもきつかった。

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観音寺城跡を撮影。

観音寺城(かんのんじじょう)は、滋賀県蒲生郡安土町にあった山城である。
支城に和田山城、佐生城、箕作城などがある。
国の史跡に指定されている。

戦国時代には大幅な城の改築が行われるが、
六角義賢(承禎)・義治の頃には浅井氏に敗れる(野良田の戦い)などで
衰退することになる。
1568年(永禄11年)、尾張の織田信長が足利義昭を擁して
上洛の大軍を興すと六角氏は敵対し、
9月13日に信長に支城の箕作城を落とされると、
六角義賢・六角義治は観音寺城から逃げ無血開城した。
その後、六角義賢・六角義治は観音寺城に戻ることが出来ず
そのまま廃城になったと思われている。


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観音寺城跡を後にした。

観音正寺はすぐ近く。

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観音正寺が見えてきた。

(観音正寺の解説)

観音正寺(かんのんしょうじ)は、滋賀県蒲生郡安土町にある天台宗の寺院。
山号は繖山(きぬがささん)。本尊は千手観音。
西国三十三箇所第32番札所である。

琵琶湖の東岸、標高433メートルの繖山(きぬがさやま)の山頂近くに位置する。
伝承によれば、推古天皇13年(605年)、聖徳太子がこの地を訪れ、
自刻の千手観音を祀ったのに始まるという。
聖徳太子はこの地を訪れた際に出会った「人魚」の願いにより
一寺を建立したという。
その人魚は、前世が漁師であり、殺生を業としていたために
人魚に生まれ変わり苦しんでいたという。
寺にはその人魚のミイラと称するものが伝えられていたが、
平成5年(1993年)の火災で焼失してしまった。

「聖徳太子が人魚の願いにより建立」云々という話が
後世の仮託であることは言うまでもない。
ただし、滋賀県の湖東地方には他にも長命寺(近江八幡市)、
石塔寺(東近江市)、百済寺(東近江市)などの聖徳太子開基伝承をもつ寺院が点在し、

その多くが渡来人ゆかりの寺院であることは注目される。

観音正寺が位置する繖山には、
室町時代以来近江国南半部を支配した佐々木六角氏の居城である観音寺城があり、
寺は佐々木六角氏の庇護を得て栄えた。
観音寺城は永禄11年(1568年)、織田信長の軍勢に攻められて落城。
数年後には佐々木六角氏所縁の観音正寺も焼き討ちに遭い、全焼した。
再興されたのは慶長年間(1596年 - 1615年)のことである。

観音正寺の本堂は平成5年(1993年)に失火で焼失した。
交通不便な山中にある寺院のため、消火活動もままならず、
重要文化財に指定されていた本尊千手観音立像も焼失してしまった。
現在ある木造入母屋造の本堂は平成16年(2004年)に再建されたものである。
新たに造立された本尊千手観音坐像は仏師松本明慶の作。
旧本尊が1メートル足らずの立像であったのに対し、像高3.56メートル、
光背を含めた総高6.3メートルの巨大な坐像である。
像はインドから輸入した23トンもの白檀を素材に作られている。
白檀は輸出禁制品であったが、観音正寺の住職が、20数回インドを訪れ、
たび重なる交渉の後、特例措置として日本への輸出が認められたものであるという。   

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「濡佛(ぬれぶつ)」が安置されている。

 「濡佛」は江戸時代から安置されていたようであるが、
第二次世界大戦時に供出され、
現存のものは以前のままの姿を映し昭和58年(1983年)に再建されたものである。

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一対の「仁王像」が置かれている。

観音正寺には山門がない。

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観音正寺はここまで。

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桑実寺に戻るルートで帰った。

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桑実寺に戻ってきた。

そして通過する。

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琵琶湖にて。

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撮影:PENTAX K20D、Sigma 18-250mm F3.5-6.3 DC OS HSM


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