風景写真、猫の写真など載せています。楽しんでもらえればと思います。
僕の写真紀行は容量いっぱいになりましたので、 僕の写真紀行2に移行します。 またよろしくお願いします。鯖街道 [福井県]
今回は、3/21撮影の近江八幡の八幡堀と鯖街道の写真を載せたいと思う。
朝一番は近江八幡の八幡堀を撮影した。
(八幡堀の解説)
八幡堀(はちまんぼり)は、滋賀県近江八幡市にある幅員約15メートル、
全長6キロメートルに及ぶ運河である。
安土桃山時代に豊臣秀次が八幡城を築城した際、
城下町の都市計画として整備され、城を防御する軍事的な役割と
琵琶湖の水運(当時の物流の要)を利用する商業的役割を兼ね備えた。
江戸時代には、近江商人(八幡商人)による町の発展に大きな役割を果たした。
八幡山城跡までロープウェイがあるが、それが写っている。
八幡堀沿いにかわらミュージアムがある。
かわらミュージアムの喫茶店の壁を撮影。
日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)
ここからは鯖街道にて気になった風景を撮影。
(鯖街道の解説)
鯖街道(さばかいどう)とは、
嶺南地方で獲れた魚介類を京都に運ぶために整備された街道の歴史的名称。
その魚介類の中でも、特に鯖が多かったため、「鯖街道」と言われるようになった。
現在の福井県小浜市から京都市左京区出町柳までの区間を指し、
国道27号(小浜市~若狭町上中)、国道303号(若狭町上中~高島市保坂)、
国道367号(高島市朽木~京都市左京区)にあたる
(往時の鯖街道は現在の国道367号ではなく、大見尾根を経由する山道であった)。
なお、広義では若狭地方から京都へ海産物を運んだ街道全てを鯖街道と呼ぶ。
若狭湾で取れた鯖に塩をまぶし、夜も寝ないで京都まで運ぶと、
ちょうど良い味になっていたと言われ、京の一般庶民にまで喜ばれ、
その到着を待ち望まれたために、これを運ぶ道にいつしか鯖街道の名が付けられた。
運ぶ人達は「京は遠ても十八里」と唄いながら寝ずに歩き通した。
現在も国道367号沿線には、鯖寿司を生業とした店が多数存在する。
ここから5枚は熊川宿にて撮影。
(熊川宿の解説)
18世紀後半より大量の鯖が若狭から京へと運ばれた事から、鯖街道と呼ばれるようになった鯖街道。
この街道にある熊川宿は、天正17年(1589年)、熊川が交通と軍事において
重要な場所であることから、秀吉に重用され、若狭の領主となった浅野長政により作られた宿場町。
現在は国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定されており、
古い建物を生かした資料館や喫茶店を散策することができる。
熊川の町並みの特徴は、街道に面して多様な形式の建物が建ち並んでいるところ。
瓜割りの滝に向かった。
その際に撮ったもの。
瓜割りの滝を撮影。
(瓜割りの滝の解説)
若狭町の天徳寺境内奥に位置する「瓜割の滝」は、山あいの岩間から湧き出る清泉で、
一年を通して水温が変わらず、夏でも水につけておいた瓜が割れるほど冷たい事から、
その名前がつけられた。
瓜割の滝から湧き出る瓜割の水は、幾重もの地層が自然のフィルターとなり、
長い歳月をかけてろ過した純度の高いミネラル成分が溶け込んだ水となっており、
多くの人々に愛飲され親しまれている。
保存可能期間についても、名水百選の中でトップクラスにランクされている。
その水中の赤い石には、この水質水温でのみ生育する、
めずらしい紅藻類(ヒルデンブリンチアリブラリス)が繁殖している。
部分的に撮影している。
ここからは小浜にて撮影。
山の影が水面に映っていて綺麗だった。
小浜から敦賀に向かう途中で撮影。
峠の木々は新芽を吹いていた。
ここからは敦賀半島で撮影。
どこかの子供さんだが、楽しそうに遊んでいたので撮影。
敦賀の気比の松原で撮影。
家に帰ってから鯖街道沿いの朽木で買った焼き鯖寿司を食べてみた。
作ったところがよかったこともあるだろうが、とても美味しいものであった。
撮影:Nikon D300
朝一番は近江八幡の八幡堀を撮影した。
(八幡堀の解説)
八幡堀(はちまんぼり)は、滋賀県近江八幡市にある幅員約15メートル、
全長6キロメートルに及ぶ運河である。
安土桃山時代に豊臣秀次が八幡城を築城した際、
城下町の都市計画として整備され、城を防御する軍事的な役割と
琵琶湖の水運(当時の物流の要)を利用する商業的役割を兼ね備えた。
江戸時代には、近江商人(八幡商人)による町の発展に大きな役割を果たした。
八幡山城跡までロープウェイがあるが、それが写っている。
八幡堀沿いにかわらミュージアムがある。
かわらミュージアムの喫茶店の壁を撮影。
日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)
ここからは鯖街道にて気になった風景を撮影。
(鯖街道の解説)
鯖街道(さばかいどう)とは、
嶺南地方で獲れた魚介類を京都に運ぶために整備された街道の歴史的名称。
その魚介類の中でも、特に鯖が多かったため、「鯖街道」と言われるようになった。
現在の福井県小浜市から京都市左京区出町柳までの区間を指し、
国道27号(小浜市~若狭町上中)、国道303号(若狭町上中~高島市保坂)、
国道367号(高島市朽木~京都市左京区)にあたる
(往時の鯖街道は現在の国道367号ではなく、大見尾根を経由する山道であった)。
なお、広義では若狭地方から京都へ海産物を運んだ街道全てを鯖街道と呼ぶ。
若狭湾で取れた鯖に塩をまぶし、夜も寝ないで京都まで運ぶと、
ちょうど良い味になっていたと言われ、京の一般庶民にまで喜ばれ、
その到着を待ち望まれたために、これを運ぶ道にいつしか鯖街道の名が付けられた。
運ぶ人達は「京は遠ても十八里」と唄いながら寝ずに歩き通した。
現在も国道367号沿線には、鯖寿司を生業とした店が多数存在する。
ここから5枚は熊川宿にて撮影。
(熊川宿の解説)
18世紀後半より大量の鯖が若狭から京へと運ばれた事から、鯖街道と呼ばれるようになった鯖街道。
この街道にある熊川宿は、天正17年(1589年)、熊川が交通と軍事において
重要な場所であることから、秀吉に重用され、若狭の領主となった浅野長政により作られた宿場町。
現在は国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定されており、
古い建物を生かした資料館や喫茶店を散策することができる。
熊川の町並みの特徴は、街道に面して多様な形式の建物が建ち並んでいるところ。
瓜割りの滝に向かった。
その際に撮ったもの。
瓜割りの滝を撮影。
(瓜割りの滝の解説)
若狭町の天徳寺境内奥に位置する「瓜割の滝」は、山あいの岩間から湧き出る清泉で、
一年を通して水温が変わらず、夏でも水につけておいた瓜が割れるほど冷たい事から、
その名前がつけられた。
瓜割の滝から湧き出る瓜割の水は、幾重もの地層が自然のフィルターとなり、
長い歳月をかけてろ過した純度の高いミネラル成分が溶け込んだ水となっており、
多くの人々に愛飲され親しまれている。
保存可能期間についても、名水百選の中でトップクラスにランクされている。
その水中の赤い石には、この水質水温でのみ生育する、
めずらしい紅藻類(ヒルデンブリンチアリブラリス)が繁殖している。
部分的に撮影している。
ここからは小浜にて撮影。
山の影が水面に映っていて綺麗だった。
小浜から敦賀に向かう途中で撮影。
峠の木々は新芽を吹いていた。
ここからは敦賀半島で撮影。
どこかの子供さんだが、楽しそうに遊んでいたので撮影。
敦賀の気比の松原で撮影。
家に帰ってから鯖街道沿いの朽木で買った焼き鯖寿司を食べてみた。
作ったところがよかったこともあるだろうが、とても美味しいものであった。
撮影:Nikon D300
タグ:鯖街道
2009-03-22 02:43
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コメント(4)
おはようございま~す。
カタクリきれい~!!
そういえば、カタクリの花って生で見たことないかもです(汗)
ユキヤナギも満開ですね。
うちの庭にもありますがやっと雪の中から解放されて
そろそろ雪囲いを外してあげようかと思ってます。
by そらまめ (2009-03-29 07:38)
おはようございます。
時が止まっているような素敵な所ですね。
ゆっくりと散策を楽しんでみたいです。
どの風景も素晴らしいですね。
滝の美しさにも惹き付けられて
流れに心が洗われます。
子供さん達、可愛らしいですね。
微笑ましくて心がほっこりします。
焼き鯖寿司、美味しそうで食べてみたいです。
by kaoru (2009-03-29 09:10)
近江八幡の八幡堀の古い町並み、風情があって好いですね
特に川沿いの商家でしょうか、今でも民家として使われているのでしょう
石垣も板塀も桃山時代から江戸時代を残しているのでしょうね
京都、琵琶湖周辺、日本海にかけては被写体に事欠く事はなさそうです
by zenjimaru (2009-04-06 13:15)
沒有醫生的處方
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