風景写真、猫の写真など載せています。楽しんでもらえればと思います。
僕の写真紀行は容量いっぱいになりましたので、 僕の写真紀行2に移行します。 またよろしくお願いします。奈良・古の人々に想いを馳せて。 [奈良]
(10/13に楽天ブログに載せた記事です。)
今、奈良にいる。
奈良に来たのは、午後3時半過ぎであった。
それから5時までの1時間半、山の辺の道を歩いた。
石上神社から夜都岐神社までの行程だ。
時間が短いこともあるが、天気が曇りで照度が足りず、
あまり満足な写真は撮れていない。
明日は、天気しだいではあるが、全行程を歩いてみたい。
カメラは、Nikon D200、NIKKOR AF18~200mm VR
まず始めに、山の辺の道とはどんな道かを解説したい。
山の辺の道は、奈良盆地の東方の山裾を縫うように南北に、三輪から奈良へ通じる古道だ。
7世紀の初め頃より以前に作られた。
起伏に富み、曲折しながら村と村を結び、人々の生活の道でもあった。
現在、その道は、はっきりわからないが、
歌垣(うたがき)で有名な海石榴市(つばいち)から、
三輪、景行陵、崇神陵を経て、石上神宮更に奈良へと北上する道で、
延長26キロとなる。
この中で、古代の面影をよく残し、万葉びとの息づかいを伝えているのが、
大神神社の周辺から檜原神社を通り、石上神宮までの15キロの道だ。
この間には、古社寺や古墳、万葉歌碑をはじめ多彩な伝承の舞台が展開し、
知らない間に訪れる人を古代神話の世界へ誘ってくれる。
石上神社の駐車場に車を停めた。
そこから見える風景だが、もうすでに奈良らしい風景が始まっていた。
石上神社境内
石上神社のシンボル的存在だ。
こんな道を歩いている。
石碑、句碑がいたるところにある。
案内板だ。
内山永久寺跡だ。
現在は周りの木陰を映して静まりかえる池になっている。
かつては、内山永久寺の本堂が建っていた所である。
この寺は、第74代鳥羽天皇の勅願によって永久年間(1173 -1117)に建立されたので、
永久寺という。
内山永久寺は石上神宮の神宮寺として
盛時には50以上の堂塔を誇った真言宗の大寺院であった。
だが明治の廃仏毀釈によって廃寺となってしまった。
周りの風景に溶け込んでいて、雰囲気のある句碑だ。
こんな道を歩いている。
天気があまり良くなかった。
柿木がそこらじゅうで見られた。
こんな道を歩いてきた。
みかんも見られた。
ところどころでコスモスが群生していた。
夜都岐神社だ。
当社は春日大社と縁が深く、かねてより春日社若宮社殿と鳥居が払い下げられてきた。
現在の社殿は明治39年に改築されたもの。
春日造檜皮葺の4社殿が末社琴平神社と並立し、その美麗な社殿を構築している。
拝殿は藁葺きで、この地方では珍しい神社建築。
鳥居は嘉永元年(1848)に春日若宮社から払い下げられたものという。
夜都岐神社にて。
彼岸花はようやく終焉を迎えたようだ。
10/14の撮影分はすでに載せてあります。
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