SSブログ

風景写真、猫の写真など載せています。楽しんでもらえればと思います。

僕の写真紀行は容量いっぱいになりましたので、 僕の写真紀行2に移行します。 またよろしくお願いします。

「かくれ里」の風景 [滋賀県]

今回は白州正子の「かくれ里」に紹介されている日吉大社の石橋と

金勝山の石仏を載せたいと思う。

昨年の9月に撮影したものである。


撮影:Panasonic LUMIX DMC-G1


白州正子の著書「かくれ里」に日吉大社の石橋について以下のように記している。

「石仏だけでなく、他の石造美術にも傑作が多いが、中でも特筆すべきは

日吉大社の石橋であろう。・・・

堂々としていながら少しも重苦しさを感じさせない。(かくれ里)」

pict0001.jpg





pict0001.1.jpg



日吉大社のすぐそばに旧竹林院庭園がある。

里坊のひとつで、延暦寺の中でも格式の高い寺院であった。

庭園は国指定の名勝で、大宮川の清流を取り入れた曲水を主体にし、

八王子山を借景としている。

築山も起伏に富み、五重の石塔、井筒などの石造物も多く残る。

天正年間に建てられた2棟の茶室と四阿(あずまや)は

大津市の指定文化財となっている。

pict0002.jpg





pict0003.jpg





pict0004.jpg





pict0005.jpg






pict0006.jpg






pict0010.jpg






pict0010.1.jpg





pict0011.jpg






pict0012.jpg





pict0015.jpg



旧竹林院庭園を後にした。

pict0016.jpg





pict0017.jpg





pict0018.jpg




金勝山の石仏に向かった。

pict0018.1.jpg






pict0018.2.jpg



石仏(狛坂磨崖仏)は金勝寺から少し登ったところにその入り口がある。

それでついでなので金勝寺を訪ねてみた。

(あまり詳しく写真は載せていない。)


金勝寺(こんしょうじ)は、滋賀県栗東市荒張にある天台宗の寺院。
山号は金勝山。本尊は釈迦如来。開基は良弁(ろうべん)と伝える。
古くは大菩提寺と称し、
湖南地方の仏教の一大拠点として栄えた大寺院であった。

寺は栗東市の南方、金勝山(こんぜやま)の山中に位置する。
金勝山は単独の峰ではなく、竜王山(605m)、鶏冠山(491m)
などの山系を指す名称で、
東北方に位置する阿星山、東方に位置する飯道山とともに、
金粛菩薩(こんしょうぼさつ)の霊地とされている。
金粛菩薩とは東大寺の開山・初代別当とされる良弁(ろうべん)のことで、
この地域には他にも長寿寺、常楽寺などの
金粛菩薩(良弁)開基を伝える寺院群がある。
金勝寺の開基も金粛菩薩とされ、
往時は山中に36坊、付近に25別院を有する、
湖南地方の仏教の中心寺院であった。
現在も近隣には金勝寺二十五別院の一であったとされる寺院が点在する。
また、金勝寺の西方の山中には
平安時代初期の作とされる狛坂磨崖仏(国の史跡)があり、
この地域の仏教文化の歴史の古さがわかる。
金勝寺は初期には法相宗系の寺院であったが、
近江地方は比叡山が存在する関係で天台宗の勢力が強く、
この寺も平安時代後期頃から天台系となり、
現在は天台宗毘沙門堂門跡(京都市山科区)の末寺となっている。

金勝寺は、寺伝では天平5年(733年)、聖武天皇の命により、
紫香楽宮の鬼門鎮護のため良弁(ろうべん)が創建したという。
建武2年(1335年)には後醍醐天皇の綸旨により
同天皇の祈願所となっている。
往時は山上に36坊を数えたというが、
天文18年(1549年)の火災で焼失し衰退した。
その後再建され、近世には徳川家康が30石を与えているが
往時の規模を取り戻すことはなかった。



pict0019.jpg




pict0020.jpg




pict0021.jpg




pict0022.jpg




pict0023.jpg




金勝山に入って、狛坂磨崖仏を目指した。

アップダウンの道が続く。

pict0024.jpg



茶沸観音

pict0025.jpg





pict0026.jpg




重ね岩

pict0027.jpg





pict0028.jpg





pict0029.jpg






pict0034.jpg






pict0035.jpg



これが狛坂磨崖仏

(狛坂磨崖仏の解説)

笹道をかきわけ、金勝(こんぜ)山中を登ると、
栗東(りっとう)市と大津市の境界付近に
高さ約6m、幅約4.5mの花崗岩に刻まれた磨崖仏が出現する。
中央に高さ2.35mの阿弥陀如来坐像、
両脇侍に観音と勢至の菩薩立像が浮き彫りに刻まれ、
上部に9体の仏菩薩が刻まれている。
また、向かって左前の岩にも3体の仏像が刻まれている。
平安初期の作と考えられているが、
作風に新羅系の影響も見られ、奈良時代後期との説もある。
いずれにしても写実的で優れた磨崖仏で、国指定の史跡である。
この地には、かつて興福寺の僧、願安(がんあん)によって
建立されたと伝わる狛坂寺があったが、
明治維新時に廃寺になり、寺の痕跡は、この磨崖仏だけになった。


白州正子は著書「かくれ里」に次のように書いている。

「聞きしに優る傑作であった。見上げるほど大きく、美しい味の花崗岩に
三尊仏が彫ってあり、小さな仏像の群れがそれをとりまいている。
奈良時代か、平安初期か知らないが、
こんなに迫力のある石仏は見たことがない。」

pict0036.jpg





pict0037.jpg


nice!(13)  コメント(0) 

nice! 13

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。