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風景写真、猫の写真など載せています。楽しんでもらえればと思います。

僕の写真紀行は容量いっぱいになりましたので、 僕の写真紀行2に移行します。 またよろしくお願いします。

日吉大社の石橋 [滋賀県古寺シリーズ]

今回は日吉大社の石橋を載せたいと思う。

日吉大社の石橋も白州正子の著書「かくれ里」に紹介されている。

「石仏だけでなく、他の石造美術にも傑作が多いが、中でも特筆すべきは

日吉神社の石橋であろう。・・・

堂々としていながら少しも重苦しさを感じさせない。(かくれ里)」




(日吉大社の解説)

日吉大社は、滋賀県大津市坂本にある神社。
俗に山王権現とも。
日本全国に約2000社ある日吉・日枝・山王神社の総本宮である。
中世には二十二社の下八社のひとつとされた。
西本宮と東本宮を中心に、400,000m²の境内を持つ。
猿を神の使いとして崇拝することで知られている。

最澄が比叡山上に延暦寺を建立し、比叡山の地主神である当社を、
天台宗・延暦寺の守護神として崇敬した。
中国の天台宗の本山である天台山国清寺で祀られていた
山王元弼真君にならって山王権現と呼ばれるようになった。
延暦寺では、山王権現に対する信仰と
天台宗の教えを結びつけて山王神道を説いた。
中世に比叡山の僧兵が強訴のために担ぎ出した神輿は日吉大社のものである。
天台宗が全国に広がる過程で、日吉社も全国に勧請・創建された。

元亀2年(1571年)、織田信長の比叡山焼き討ちにより
日吉大社も灰燼に帰した。
現在見られる建造物は安土桃山時代以降に再建されたものである。
信長の死後、豊臣秀吉は当社の復興に尽力した。
これは、秀吉の幼名を「日吉丸」といい、あだ名が「猿」であることから、
当社を特別な神社と考えたためである。
明治に入ると神仏分離令により、仏教色が廃された。
また、本来の形に戻すとして、東本宮と西本宮の祭神を入れ替えて
西本宮の大山咋神を主祭神とし、
大物主神を祀る東本宮は摂社・大神神社に格下げした。
昭和初年に元の形に復した。

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日吉三橋(大宮橋、走井橋、二宮橋)はいずれも重要文化財

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撮影:panasonic LUMIX DMC-G1




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