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風景写真、猫の写真など載せています。楽しんでもらえればと思います。

僕の写真紀行は容量いっぱいになりましたので、 僕の写真紀行2に移行します。 またよろしくお願いします。

歴史的な建築物に惹かれて(滋賀県・成菩提院と永明寺) [歴史的建築物]

今回は成菩提院(じょうぼだいいん)と永明寺(ようめいじ)を載せたいと思う。

撮影:OLYMPUS OM-D E-M10 MarkIII、LUMIX G VARIO 12-60mm/F3.5-5.6

(成菩提院の解説)

滋賀県米原市柏原にある成菩提院は、815年伝教大師最澄が東国に
向う途中この地に草庵を築き逗留したのに始まると伝えられている。
その後、天台宗の学問所にもなり栄え、豊臣秀吉・徳川家康からの
支援を受け、徳川家康の参謀とも言われた天海僧正が20代の
住職に就いている。天海僧正からは家康像(画)も贈られており、
17世紀半頃は最盛期を迎えている。


風化し趣深い山門になっている。

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歴史的な建築物に惹かれて(岐阜県・永保寺と正願寺) [歴史的建築物]

永保寺は庭園が有名で、国宝の観音堂も有するので、
一度撮影したいと思っていた。

撮影:OLYMPUS PEN E-PL9、LUMIX G VARIO 12-60mm
(一部、M.ZUIKO DIGITAL 45mm F1.8使用)


(永保寺の解説)

永保寺(えいほうじ)は、岐阜県多治見市虎渓山町にある臨済宗南禅寺派の寺院。
山号は虎渓山(こけいざん)。 雲水の修行道場(僧堂)である虎渓山専門道場を併設している。
美濃七福神の一つ(寿老人)。


歴史

1295年頃、鎌倉の地で夢窓疎石と元翁本元が修行し、また土岐頼貞との接点が生まれた。
1311年悟後の修行のため甲斐の龍山庵(浄居寺)に一時隠棲していた夢窓疎石は、
1312年元翁本元とともに元翁の故郷である三河の大徳寺に逗留。
1313年土岐頼貞の招きにより、頼貞の父・土岐光定(1281年4月8日没)の33回忌を
定林寺で厳修した。
その後土岐頼貞の別邸または砦があったと推察される長瀬山の麓に庵を結ぶ。
文化3年(1806年)刊の『虎渓山略縁起一人案内』によれば、
正和2年(1313年)6月18日に長瀬山の麓を目指していた夢窓一行が道に迷い、
白馬に乗った女性に道を尋ねた所、返事が無かった。
そこで夢窓は「空蝉(うつせみ)の もぬけのからか 事問えど 山路をだにも 教えざりけり」
と歌を詠んだ。
すると女性は「教ゆとも 誠の道はよもゆかじ 我をみてだに 迷うその身は」
と返歌して忽然と消え失せ、付近の補陀岩上に一寸八分の観世音菩薩像が出現した。
夢窓はこの観世音菩薩像を本尊とし、1314年に水月場(観音堂、国宝)を建立した。
当初「古溪(古渓)」と称していたが、後に中国廬山の虎渓(簡体字: 虎溪(中国語版))に因み
「虎溪山(虎渓山)」と称するようになった。
廬山虎渓の風致が当地に似ているとする記述も見られるが、夢窓が渡航した記録は無く、
むしろ鎌倉建長寺の中国僧一山一寧のもとで修行していたことにより、
当時の廬山での禅修行の風致を虎渓山に求めたものと推察される。
1317年に夢窓は京都の北山に隠棲、更に土佐へ移り、1319年には鎌倉へ、
1325年に後醍醐天皇の命により南禅寺第9世として南禅寺に住持することとなる。
一方、元翁本元は夢窓の去った虎渓の地を守り暫く留まっていたが、
1329年には南禅寺第11世として南禅寺に住持した。
元翁本元が南禅寺に住持している時、後醍醐天皇の皇子世良親王の帰依を受けていたが、
親王亡き後、後醍醐天皇が親王の御所を臨川寺とし、
元翁本元を開山として迎えることとなった。
この時点では虎渓山開山は夢窓疎石であり、臨川寺開山が元翁本元であるが、
南北朝争乱により後醍醐天皇は隠岐に流され、元翁と臨川寺は外護者を失うこととなり、
元徳3年(1331年)元翁は南禅寺を去り、翌正慶元年(1332年)に没した。
後醍醐天皇は1333年に京都に戻り、夢窓疎石を再び南禅寺の住持に迎えるとともに、
改めて臨川寺の開山とした。
これにより、当初夢窓を開山とした虎渓山永保寺は夢窓疎石を開創とし、
元翁本元を開山とするようになった。
後醍醐天皇による建武の新政は足利尊氏によりわずか2年で失敗に終わり、
光明天皇が擁立されて南北朝となり、暦応元年(1338年)に足利尊氏が征夷大将軍となる。
永保寺は暦応2年(1339年)に北朝の光明天皇勅願所とされ、
経済的基盤が確立するとともに、
開山元翁本元の門派が一流相続する独立的存在の門徒寺とされた。
永保寺の歴代は3世の果山正位以後、14世の雪庭永立(1554年没)までが
塔頭の保寿院世代と同一であり、その後320年間にわたり塔頭寺院による輪番で護持されてきた。
天保元年(1830年)、開山仏徳禅師500年遠諱の際、春応禅悦により僧堂が開かれるが、明治初めの社寺上知令により衰退した。
明治8年(1879年)永保寺独住1世として保寿院24世の蕙芳惠薫が任命され、
明治14年(1881年)開山仏徳禅師550年遠諱の際に、柏樹軒潭海玄昌を永保寺住持に迎え僧堂を再開した。これ以後、僧堂師家が永保寺住職を務めている。


境内

●観音堂(国宝)
一重裳階(もこし)付き、入母屋造檜皮葺きの仏殿。南北朝時代。
「水月場」とも称し、本尊の聖観世音菩薩坐像(毎年3月15日公開)が安置されている。
本建物は外観は禅宗様を基調としつつ、
細部には和様の要素が濃い特異な建築である。
軒裏は垂木を見せない「板軒」とするのも珍しい手法である。
●開山堂(国宝)
入母屋造檜皮葺き。南北朝時代。
永保寺開創の夢窓国師および開山仏徳禅師の頂相が安置されている。
堂内は石敷きの土間に化粧屋根裏とするなど、本格的な禅宗様の意匠になる。


観音堂(国宝)

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国の名勝「永保寺庭園 無際橋」

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歴史的な建築物に惹かれて(愛知県・長光寺、性海寺と妙興寺) [歴史的建築物]

今回は地蔵堂で有名な長光寺と多宝塔や紫陽花で有名な性海寺、
そして一宮の大寺の妙興寺の写真を載せたいと思う。


撮影:OLYMPUS PEN E-PL9、LUMIX G VARIO 12-60mm
(一部、M.ZUIKO DIGITAL 45mm F1.8使用)

(長光寺の解説)

長光寺(ちょうこうじ)は、愛知県稲沢市にある臨済宗妙心寺派の寺院。

仁寿元年(851年)小野篁が陸奥の国に下る途中、この辺りに駐杖した際、
路傍に地蔵像を安置したのが始まりと伝わる。
1161年、尾張守であった平頼盛が病気平癒のお礼に六角堂を寄進した。
1336年、足利尊氏が戦のため上洛する際に太刀を奉納して武運を祈願し、
勝利したお礼に六角堂を祈願所として定めた。
1338年に尊氏が将軍宣下を受けると、山門などを奉納して再興している。
その後、織田氏・徳川家康・尾張徳川家によって庇護された。

●重要文化財
〇地蔵堂(六角堂) - 室町時代(1510年)建立
〇鉄造地蔵菩薩立像 - 鎌倉時代、文暦□年(二年)年銘(1235年)

楼門

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重要文化財の地蔵堂

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長光寺の境内にて撮影。

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歴史的な建築物に惹かれて(岐阜県・清水寺、龍福寺と龍門寺) [歴史的建築物]

今回は岐阜県の清水寺と龍門寺の写真を載せたいと思う。

この奥に岐阜県の清水寺がある。

撮影:OM-D E-M10 MarkIII、LUMIX G VARIO 12-60mm
(一部 M.ZUIKO DIGITAL 45mm F1.8使用)


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(清水寺の解説)

清水寺(きよみずでら)は岐阜県加茂郡富加町にある臨済宗妙心寺派の寺院。
加治田城城下町の加治田山山麓に位置する。山号は白華山(はっかさん)。
本尊は十一面観音。美濃三十三観音霊場第二十六番札所である。
日本全国でも京都音羽山清水寺と同じ縁起であり、
唯一の兄弟姉妹富加町加治田白華山清水寺だけが歴史・霊地として存在している。
1200年鎮座する古刹として歴史価値が深い貴重な清水寺である。

寺所蔵の『白華山清水寺縁起』によれば、大同3年(808年)、京都東山の清水寺と同じく、
延鎮を開山、坂上田村麻呂を開基として創建されたと伝承する。
伝承によれば、延鎮は行叡居士(京都清水寺の草創に関わりのある老仙人)の
行先を求めて東の方へ、東の方へと行き、美濃の国に入ると東の山に光が見えてきた。
光を目指して進むと加治田に入り、白華山で行叡居士と再会。延鎮は霊地であると思い、
坂上田村麻呂に願い出て、寺を建造した。
これが加治田白華山清水寺であるという。
加治田の清水寺はもと真言宗に属したが、江戸時代半ばに臨済宗に改宗している。


二天門

特徴的な山門で、これが撮りたかった。

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歴史的な建築物に惹かれて(岐阜県・華厳寺) [歴史的建築物]

今回は華厳寺の写真を載せたいと思う。
美濃の古刹として華厳寺と横蔵寺は有名。

撮影:OM-D E-M10 MarkIII、LUMIX G VARIO 12-60mm

(華厳寺の解説)

華厳寺(けごんじ)は、岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積にある天台宗の寺院。
山号は谷汲山(たにぐみさん)。本尊は十一面観世音菩薩(十一面観音)、
脇侍として不動明王と毘沙門天を安置する。
西国三十三所第33番札所、満願結願の寺院で桜、
紅葉の名所としても知られ多くの観光客で賑わう。


永禄3年(1560年)成立の『谷汲山根元由来記』によると、
華厳寺は延暦17年(798年)、会津黒河郷の豪族大口大領なる人物によって
創建されたという。
『由来記』によれば、大口大領は都の仏師に依頼して自らの信仰する
十一面観音(十一面観世音菩薩)の像を造立した。
彼は観音像とともに会津に帰ろうとしていたが、途中、
美濃国の赤坂(現・岐阜県大垣市)で観音像が動かなくなってしまった。
赤坂の北五里の山中に観音所縁の霊地があるというお告げを受け、
大口大領は同地に草庵を建立。
延暦末年に、当地で修行していた僧・豊然上人(ぶねんしょうにん)の
協力を得て華厳寺を建立した。
延暦20年(801年)、桓武天皇の勅願寺となり、延喜17年(917年)には
醍醐天皇が「谷汲山」の山号と「華厳寺」の扁額を下賜。
天慶7年(944年)には朱雀天皇が鎮護国家の道場として当寺を勅願所に定め、
仏具・福田として一万五千石を与えたという。
「谷汲山」という山号については、寺付近の谷から油が湧き出し、
仏前の灯明用の油が汲めども尽きなかったことに由来する。
西国三十三所霊場の中興者と伝承される花山法皇は徒歩で巡幸し、
当寺を第三十三番札所の満願所と定め、禅衣(笈摺)、杖、
および三首の御詠歌を奉納したと伝え、鎌倉時代には後白河法皇が
花山法皇の跡を慕って同行千有余人を従えて巡幸したという。
なお、西国三十三所巡礼について触れた最も古い史料である
『寺門高僧記』所収の「行尊伝」および「覚忠伝」では、
第三十三番の霊場は三室戸寺になっており、園城寺(三井寺)の僧・覚忠が
三十三所霊場を巡礼した応保元年(1161年)には、華厳寺は満願所ではなかった。
また、三種の御詠歌(後出)のうち、「世を照らす」の歌は作者が判明しており、
花山法皇ではなく、前出の覚忠の作歌である。
建武元年(1334年)足利氏と新田氏の戦乱が起こり、
新田氏一族堀口美濃守貞満の乱をはじめとする戦乱で
幾度となく諸堂伽藍を焼失するが、本尊ならびに脇侍等は山中に移し難を逃れた。
文明11年(1479年)、観音菩薩の夢告を受けた薩摩国鹿児島慈眼寺住職道破拾穀により、
再興されたと伝えられている。


総門をくぐると、左右にソメイヨシノの桜並木、土産物店、飲食店、
旅館などの立ち並ぶ参道が続き、距離にして約1km、徒歩10分ほどで仁王門に達する。
仁王門から本堂まではゆるやかな登りの石畳の参道となり、
右手には放生池、地蔵堂、茶所、一乗院、十王堂、羅漢堂、英霊堂、
三十三所観音堂、左手には法輪院、明王院、一切経堂、観音勢至像、本坊などがあり、
本坊の一画には大師堂、内仏客殿、庫裏が建つ。
参道突き当りの石段を上ると本堂があり、その右手に鐘楼堂、
本堂背後には阿弥陀堂、笈摺堂、子安堂、
そこからさらに石段を上った先に満願堂が建つ。
このほか、満願堂から徒歩約1時間ほどのところに奥の院がある。
山内には他に妙法ヶ滝、「菅原道真参籠の岩屋」などがある。




仁王門

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仁王門

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百度石と焼香堂

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歴史的な建築物に惹かれて(岐阜県・日吉神社) [歴史的建築物]

今回は日吉神社境内にある三重塔だけを載せたいと思う。

いつものサイズだと三重塔の魅力が伝わらないと思ったので

大きくしています。


撮影:OM-D E-M10 MarkIII、LUMIX G VARIO 12-60mm


日吉神社とは・・・

弘仁8年(817年)、伝教大師(最澄)が東国へ天台宗の布教に東山道を通られた折、
神戸の地に立ち寄られた。
当地の郡司・安八太夫安次は大師の教えに帰依した。
それで大師は安次の懇請に応じて影向山(ようごうさん)神護寺善学院を建て、
近江坂本・日吉神の四柱の神を勧請、日吉信仰の社を創建された。日吉神社である。

●重要文化財
三重塔
木造地蔵菩薩坐像(おもかる地蔵)
木造十一面観音坐像 2躯
石造狛犬(1対)


(三重塔の解説)

国の重要文化財指定

天正13年(1587年)稲葉一鉄修造の棟札が善学院に遺っているが、
それより約70年前に斎藤伊豆守利継が建立したものであろうと言われている。

塔の大きさ
 初重 方10.5m 軒高 4.7m
 二重 方10.2m 軒高 9.02m
 三重 方9.02m 軒高 13.5m
 露盤下までの高さ   17.76m
 相輪頂上までの高さ  24.6m

塔の構造
三層塔婆・毎層三間 組物三手先 軒二重棰 
初重勾欄は天井拭板 屋根檜皮葺 相輪鉄製
室町時代の豪壮華麗な建築様式を伝えている。



まずは広角で翼を広げたようなイメージで撮ってみる。

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歴史的な建築物に惹かれて(岐阜県・横蔵寺) [歴史的建築物]

今回は美濃のあたりでは有名なお寺、横蔵寺を載せたいと思う。
特に紅葉の美しさで知られており、大勢の観光客がツアーバスでやってくる。
ミイラも安置されていて、
子供のころに親に連れていかれたことを記憶している。
今回訪ねてみて、風化した建物に歴史がしみ込んでいる感じがして、
わくわくしながら撮影した。
最近アップした日龍峯寺(高澤観音)もこんな素敵なお寺は他にないなと思うが、
横蔵寺も負けてはいないなと感じた。


撮影:OM-D E-M10 MarkIII、LUMIX G VARIO 12-60mm
(一部M.ZUIKO ED 60mm F2.8 Macro使用)



(横蔵寺の解説)


横蔵寺(よこくらじ)は岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲神原にある天台宗寺院。
山号は両界山、本尊は薬師如来。西美濃三十三霊場第一番札所。
重要文化財を含む多数の文化財を有し、「美濃の正倉院」とも呼ばれる。
紅葉の名所でもあり秋の行楽シーズンには特に多くの参拝客が訪れる。
このシーズンに「横蔵寺もみじまつり」が開催されライトアップが行われている。
西国三十三所観音霊場の最後(33番)の札所である谷汲山華厳寺の西方、
さらに奥まった山間の小さな盆地に位置する。
平安時代 - 鎌倉時代の仏像等、多くの文化財を有する古寺であるが、
草創や沿革については史料が乏しく、
平安時代末期ころまでの寺史はほとんど不明といってよい。
寺伝によれば、横蔵寺は日本天台宗の宗祖・最澄が
自作の薬師如来を安置して創建した寺とされている。
伝承によれば、最澄は比叡山延暦寺を開創する際に、
本尊薬師如来像を自ら刻んだが、その薬師如来像を造ったのと同じ霊木から、
もう1体の薬師如来像を造った。
最澄は、その2体目の薬師如来像を
笈(おい、山伏や山林修行者が背中に背負う箱状のもの)に入れて背負いながら
諸国を旅したが、延暦22年(803年)、横蔵寺のある地まで来た時に
薬師如来像が動かなくなったので、
ここに一寺を建立して薬師如来像を祀ることにし、
地元の三和次郎大夫藤原助基が寺を建立したという(創建年は801年あるいは805年とも)。
最澄自ら、笈を背負って都から遠く離れた美濃の山奥までやって来たというのは、
史実として信じることはできないが、
当寺が延暦寺と関係の深い寺院であることを示唆しているといえよう。
なお、創建当時の横蔵寺は現在地からさらに1.5キロメートルほど
奥に入った円山の頂上付近にあり、現在地に移ったのは近世初期である。
鎌倉時代には38坊を有する大寺院だったというが、
鎌倉時代 - 室町時代の寺史も、断片的にしかわかっていない。
横蔵寺に言及した中世以前の文献としては、
鎌倉時代後期の禅僧・無住の著である仏教説話集『沙石集』に
「横倉薬師」の霊験について記しているのが挙げられる程度である。


横蔵寺三重塔(岐阜県指定重要文化財)
現存する仏像の中で、大日如来像(重要文化財)には
平安時代最末期の寿永2年(1183年)の銘があり、
同年、三重塔の本尊として仏師筑前講師により造立されたことが明らかである 。
また、金剛力士(仁王)像には、建長8年(1256年)の銘があり、
作者は鎌倉時代を代表する仏師の一人である肥後別当定慶であることがわかっている。
寺史に関する史料の乏しい中で、これらの仏像の像内銘は貴重なものである。
元亀2年(1571年)、織田信長の兵火で焼失し、
現在ある本堂、三重塔、仁王門などの主要伽藍は江戸時代の復興である。
織田信長の比叡山焼き討ちによって、延暦寺の伽藍が灰になった後、
横蔵寺の本尊薬師如来像は、「延暦寺本尊と同じ霊木から造られた、最澄自作の像」
という由緒ある像だということで延暦寺に移された。
その代わりに、洛北の御菩薩池(みぞろがいけ、現・京都市北区の深泥池)から移されたのが、
横蔵寺の現本尊である薬師如来像であるという。



仁王門前には大きな杉の木がある。

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仁王門

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歴史的な建築物に惹かれて(三重県の長楽寺・聖宝寺・東林寺) [歴史的建築物]

今回は、三重県いなべ市の長楽寺と聖宝寺と東林寺、
岐阜県大垣市上石津の唯願寺の写真を載せたいと思う。

撮影:OM-D E-M10 MarkIII、LUMIX G VARIO 12-60mm


(長楽寺の解説)

長楽寺は、白山信仰の祖・泰澄が722年狗留孫岳山頂に馬頭観音を
祀ったのが始まりと伝えられている。
1752年に現在地に再興され曹洞宗の禅寺になっている。
山間の緑豊かなお寺である。


参道の杉林

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観音堂

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歴史的な建築物に惹かれて(岐阜県・日龍峯寺) [歴史的建築物]

今回は日龍峰寺の写真を載せたいと思う。
本堂が清水寺の舞台と思わせるような造りである特徴的なお寺である。
以前に一度訪れたことがあるが、
寺に到着する直前に野猿の集団に出くわして、かなり驚いた記憶がある。
それだけ人があまり住んでいない場所にある。

撮影:OM-D E-M10 MarkIII、LUMIX G VARIO 12-60mm


(日龍峰寺の解説)

日龍峰寺(にちりゅうぶじ)は、岐阜県関市下之保にある高野山真言宗の寺院である。
山号は大日山。高澤観音とも呼ばれる。
また本堂が京都の清水寺本堂に似た舞台造り(懸崖造)であることから
「美濃清水」との異名がある。
本尊は千手観世音菩薩。美濃三十三観音霊場第一番札所(かつては第二十五番札所)。
中濃八十八ヶ所第六十一番札所。

寺伝によれば、5世紀前半の仁徳天皇の時代、美濃国に日本書紀にも登場する
両面宿儺(りょうめんすくな)という豪族がいた。
両面宿儺はこの地方に被害を及ぼしていた龍神を退治し、
龍神の住んでいたこの山に祠を建立したのが始まりと伝わる。
鎌倉時代、北条政子によって再興されたと伝えられている。
室町時代、応仁の乱によって多宝塔を残し堂宇の大半を焼失した。
その後、江戸時代になって現在の伽藍が整えられた。

●伽藍

仁王門 - 享保3年(1718年)建造。
本堂 - 江戸時代前期の寛文10年(1670年)建立。岐阜県指定重要文化財。
多宝塔 - 鎌倉時代後期、北条政子によって建立されたと伝えられる。重要文化財。
鐘楼
千本檜
薬師堂
金毘羅堂
庫裡
みたらしの霊水



仁王門を撮影。

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歴史的な建築物に惹かれて(大垣市の明星輪寺) [歴史的建築物]

今回は、大垣市にある明星輪寺の写真を載せたいと思う。

このお寺は子供のころに行ったことがあり、

この辺りではこくぞうさんと呼ばれ、親しまれているお寺である。


撮影:OM-D E-M10 MarkIII、LUMIX G VARIO 12-60mm
(一部LEICA DG SUMMILUX 25mm/F1.4使用)


(明星輪寺の解説)

明星輪寺(みょうじょうりんじ)は、岐阜県大垣市にある真言宗の寺院である。
山号は金生山(きんしょうざん)。
通称「赤坂虚空蔵」、「虚空蔵さん」、「こくぞうさん」。日本三大虚空蔵の一つという。
本尊は虚空蔵菩薩。洞窟(岩屋)の中にある彫刻。
言い伝えによれば、役小角が彫刻したものという。

寺伝によれば、686年(朱鳥元年)、持統天皇の勅命により、役小角が開山。
2年後に建立したという。一時廃れるが、平安時代の801年(延暦20年)、空海が再興し、
真言宗に改宗。桓武天皇により保護を受けたという。
1148年(久安4年)の落雷により焼失。再建されるが、小規模となってしまう。
1609年(慶長14年)、美濃国高須藩藩主徳永寿昌の援助で再建される。
1657年(明暦3年)、大垣藩藩主戸田氏信により、大垣藩藩主戸田氏の祈祷所に指定され賑わう。
1863年(文久3年)、戸田氏彬の援助で現在の本堂が再建される。
1869年(明治2年)、神仏分離令により蔵王権現宮が金生山神社として分離独立する。

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こくざうさんと呼ばれ親しまれているだけあり、

何人かの人を見かけた。

お寺巡りをしていても、誰一人いない場合が多いのだが。


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歴史的な建築物に惹かれて(大垣市の円興寺・願證寺) [歴史的建築物]

円興寺に行く途中に撮影。

桜はもうほとんど散ってしまった。


撮影:OM-D E-M10 MarkIII、LUMIX G VARIO 12-60mm


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円興寺は紅葉で有名で、以前行ったことがあった。

鐘楼が立派だった記憶があるので、撮影しに来たのである。



(円興寺の解説)

円興寺(えんこうじ)は、岐阜県大垣市にある天台宗の寺院である。
山号は篠尾山。本尊は木造聖観音菩薩立像(国の重要文化財)。
西美濃三十三霊場第三十二札場。
かつては山頂に存在していた。旧円興寺跡地には礎石が残り、
源朝長の墓、源義朝、源義平の供養塔などが残る。
現在の円興寺には源朝長の位牌や関わる遺品がある。

寺伝によれば、790年(延暦9年)、美濃国不破郡青墓の大炊氏に懇願され、
最澄が開山したという。
1574年(天正2年)、織田信長により焼き討ちにあい、全てを焼失する。
この際本尊が勝手に動き、石の上へ難を逃れたという。
このことから、本尊を石上観音と呼ぶ。
1658年(万治元年)に再興され、現在地へ移転する。


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本堂

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歴史的な建築物に惹かれて(護国之寺・延算寺・乙津寺) [歴史的建築物]

今回は、護国之寺と延算寺と乙津寺の写真を載せたいと思う。

歴史を感じさせるお寺を撮るのが好きで、

自分の住んでいるところから割と近い場所にある雰囲気のありそうなお寺を

インターネットで調べては訪ねている。

撮影:OM-D E-M10 MarkIII、LUMIX G VARIO 12-60mm


(護国之寺の解説)

護国之寺(ごこくしじ)は、岐阜県岐阜市にある高野山真言宗の寺院である。
本尊は十一面千手観世音菩薩。
美濃三十三観音霊場第十七番札所。
美濃四国札所八十八番。美濃七福神(布袋尊)。
国宝の金銅獅子唐草文鉢をはじめ、数多くの岐阜県、岐阜市指定重要文化財がある。

伝承によれば、746年(天平18年)、聖武天皇の勅命により行基が開山したという。
この寺の開山に関しては、奈良の大仏造立に関わった
「日野金丸」(ひのきんまろ)の伝説がある。
1590年(天正18年)、兵火により焼失する。
江戸時代、再建が順次行われた。
現在の建物は元文 - 宝暦年間の建立である。
(1736年から1764年までの期間)


楼門を撮影。

インターネットで調べている時、

この楼門がとても素敵だったので撮影しに来た。

本堂もさぞかし大きくて歴史を感じさせる素晴らしいものだと期待したのだが・・・

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歴史的な建築物に惹かれて(滋賀県・観音寺) [歴史的建築物]

豊臣秀吉が石田三成を見出したお寺である観音寺とは

どんなお寺なのか興味があったので、

撮影しに行ったのだが、

その近くに三島池があるのでついでに寄ってみた。

撮影:OM-D E-M10 MarkIII、M.ZUIKO DIGITAL ED 14-150mm F4.0-5.6

(三島池の解説)

三島池(みしまいけ)は滋賀県米原市池下にある貯水池。
姉川の伏流水を利用して灌漑用に作られた。別名、比夜叉池。
2010年(平成22年)3月25日に農林水産省のため池百選に選定された。
また「滋賀のため池50選」にも選定されている。

築造年は不詳であるが、1200年(正治2年)年代には造られたと言われ、
現在も農地20haを灌漑している。
伊吹山が湖面に映え、散策路も整備され、
池の北東に「女滞」が近接し水路でつながっており、
周辺は「グリーンパーク山東」の公園として整備されていて
池の南に「蛍の川」が流れ、6月上旬頃にはホタルが見られ、
近隣の住民の親水空間として活用されている。
また、1959年(昭和34年)に滋賀県の天然記念物
「マガモ自然繁殖の南限地」に指定され、
一部のマガモが、この池に滞まり繁殖していて
1964年(昭和39年)に周辺は、鳥獣保護区に指定された。

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豊臣秀吉と石田三成が初めて出会った場所であるお寺。

(観音寺の解説)

伊吹山旧四大寺の一つ。
平安時代前期の仁寿年間、律師三修によって建立されました。
観音寺は通称で、正式には伊富貴山観音護国寺
(いぶきやまかんのんごこくじ)といいます。
もとは法相宗(ほっそうしゅう)に属していましたが、
弘和(永徳)3年(1383)に天台宗に改めました。
正元年間(1259-1260)に、現在地に移築されています。
本尊の十一面観音像は行基(ぎょうき)作で、
伊吹山(1377.1m)の霊木を刻んだものと伝えられています。
胎内に、貞応3年(1224)の銘を記す伝教大師坐像は、
鎌倉初期の作品で高さ約65cmの一木造。国の重要文化財に指定されています。
 堂宇は正徳5年(1715)に再建の本堂(国の重要文化財)、
薬師堂、鐘楼、山門などからなり、秀吉が鷹狩りで立ち寄った際に、
寺の小僧をしていた石田三成(いしだみつなり)を
「三碗(さんわん)の才」で見出したことで名高い寺です。

階段を上っていくと本堂が見え始めた。

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本堂

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養老の滝 [岐阜県]

歴史的な建築物が好きで、

次は何を撮るか検討中なので、

今回は近場の養老の滝を載せたいと思う。


撮影:OM-D E-M10 MarkIII、M.ZUIKO DIGITAL ED 14-150mm F4.0-5.6

(養老の滝の解説)

養老の滝(ようろうのたき)は、岐阜県養老郡養老町にある落差32m、幅4mの滝である。
岐阜県により設置された養老公園内にあり、揖斐関ヶ原養老国定公園に属する。

日本の滝百選及び養老の滝・菊水泉として名水百選に選定されている滝である。
また、菊水泉にも伝わる古今著聞集に記載されている、
滝の水がお酒になったという親孝行の伝説「養老孝子伝説」など故事がある。
この地を行幸した元正天皇は『醴泉は、美泉なり。もって老を養うべし。
蓋し水の精なればなり。
天下に大赦して、霊亀三年を改め養老元年と成すべし』との詔を出し
「養老」に改元した。


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タグ:養老の滝
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歴史的な建築物に惹かれて(大矢田神社) [歴史的建築物]

昔刊行されていた講談社の週刊誌「日本の街道」に、
大矢田神社の楼門の写真が載っていて、
見るたびにその美しさに感嘆していたので、
今回撮影しに行ってきた。
後半で山県市の東光寺も載せている。

撮影:lumix GX7MK2,M.ZUIKO DIGITAL ED 14-150mm F4.0-5.6

まずは大矢田神社から

(大矢田神社の解説)

大矢田神社(おやだじんじゃ)は、岐阜県美濃市にある神社である。
本殿は江戸時代初期の1672年(寛文12年)、
拝殿は1671年(寛文11年)再建であり、
ともに重要文化財に指定されている。
また、楼門は1723年(享保8年)再建であり、美濃市指定文化財である。

創建は孝霊天皇の時代という。
716年(養老2年)、泰澄大師は、この地(天王山)一帯を開基。
天王山禅定寺号した。祠はその一部となり、牛頭天王として習合される。
禅定寺は7坊を有したが、1556年(弘治2年)に戦火で焼失。
その後、極楽坊と常泉坊の2坊のみ再興された。
1870年(明治3年)、神仏分離・廃仏毀釈により
牛頭天王を建速須佐之男命に戻して奉祀、
大矢田神社に改称して極楽坊の社僧・真清氏が神官となる。
護摩堂・鐘楼・観音堂など仏教施設は廃されたが、
唯一、楼門(仁王門)が残された。
このため神社の中に仏教式の門が残っている。



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楼門

これが今回一番撮影したかったもの。

実際に自分の目で見てみて、何て品のある美しい楼門なんだろうと思った。

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タグ:大矢田神社
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歴史的な建築物に惹かれて(滋賀県・菅山寺) [歴史的建築物]

今回は菅山寺の写真を載せたいと思う。
インターネットで調べていたら、
滋賀県の菅山寺の山門の写真が目に留まり、
森の中の廃寺を一度見てみたいと思って行ったのである。

撮影:OLYMPUS OM-D E-M5、M.ZUIKO DIGITAL ED 14-150mm F4.0-5.6

菅山寺の解説

大箕(だいき)山中にある、真言宗豊山派の古刹。
奈良時代、孝謙天皇の勅を受けた照檀上人が開山、
龍頭大箕寺と称し、平安前期に菅原道真が宇多天皇の勅使として入山、
3院49坊を建てて大箕山菅山寺と改名した。

菅山寺は藤原時代から鎌倉時代に最も栄え、
興福寺の古い記録には、僧房105末寺70余とあり、
極めて大きな寺であった。
天正10年(1582)の大地震により、当寺は壊滅した。
この時経蔵の宋版大蔵経の収納箱約40箱も破損している。
その後、黒田村(現木之本)の土豪大音氏出自の専秀が再建に努力し、
江戸時代初めに堂宇を再興した。
高野山で修法し当寺に帰住した専秀に帰依した石田三成から、
寺領30石と山林を寄進安堵された。
慶長18年(1613)、徳川家康の命で、専暁が宋より持ち帰った
「宗版一切経七千余巻」を芝の増上寺へ寄進、
代償として寺領50石を与えられ、家康黒印状も得、以降幕末まで継承。
この経典は現在、国の重要文化財に指定されている。
浅井長政、石田光成、徳川幕府の庇護もあったが、
江戸時代末期より、末寺が他宗に転宗して菅山寺の維持が困難となり、
彦根社寺役人に救済を願い出てはいるが、
明治初期までの菅山寺はまだ相当な規模を誇っていた。


駐車場から森の中に入るとじきに目に入った。

いくつか要所要所にあり、このまま行けばいいと教えてくれている。

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10分ほど下ると、廃寺が見えてきた。

本堂と経堂が見えている。

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これが今回一番見たかった山門の大きな木に挟まれた風情。

人影のない森閑とした道を進むと、間口が2m弱の朽ちた山門と出合う。
山門の両脇には巨石と見間違える、大ケヤキ(県指定)の古木2本がそびえる。
菅原道真公の手植と伝える。
幹周り6mを越え、樹高15m以上の巨木である。
滋賀県の自然記念物に指定されていたが、
写真の右側のケヤキの巨木が強風と腐食により2017(平成29年)9月に折れた。

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お寺の建物に惹かれて(岐阜・甘南美寺) [歴史的建築物]

今回は甘南美寺で写真を撮ってきたので、
それを載せたいと思う。
インターネットで大垣からそれほど遠くないお寺を探していたら、
かなり立派な建物が境内にいくつも揃っているお寺を見つけた。
それで行ってみたのである。

撮影:OLYMPUS OM-D E-M5、M.ZUIKO DIGITAL ED 14-150mm F4.0-5.6


甘南美寺の解説

甘南美寺(かんなみじ)は、岐阜県山県市長滝にある臨済宗妙心寺派の寺院である。
山号は白華山。本尊は千手観世音菩薩(秘仏)。
美濃三十三観音霊場第十三番札所。
美濃四国八十八札場第六十五番。美濃七福神(恵比寿)。
伊自良湖湖畔にある。
境内のエドヒガンザクラは、幹回り3.3m、樹高23m、樹齢は約350年といわれ、
県指定天然記念物である(甘南美寺のサクラ)。
旧本堂は戦国時代の建立といわれ、馬頭観音の信仰でも知られており、
公営競馬の関係者なども多数参詣している。
伝承によれば、鎌倉時代、高阿弥、那智阿弥の行者夫婦が
伊勢国で救世観音を授かり、
故郷の美濃国山県郡釜ヶ谷(現在の釜ヶ谷山、標高696m)山頂に
祀ったのが起源であるという。
それからしばらく後のある夜、伊勢国の漁師が漁を行っていると、
美濃国から眩い光が海を照らした。
その光により魚が全く釣れなくなったため、
漁師はその光の源を探そうと美濃国へ向かい、
その光が釜ヶ谷の観音像の光であることを突き止める。
漁師の話を聞いた夫婦は観音像を釜ヶ谷山頂から麓の長滝に移したという。
1570年(永禄13年)頃、白華山 甘南美寺として創建される。


山門

車が停めてあり、あまり目立たないように撮るために

角度が限られてしまう。

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歴史的な建築物に惹かれて(岐阜県・月見寺) [歴史的建築物]

今回も大垣からそれほど遠くない海津の月見寺を載せたいと思う。
正式には行基寺と言われる。

撮影:lumix GX7MK2 、lumix G VARIO 14-45mm/F3.5-5.6

行基寺の解説

行基寺(ぎょうきじ)は、岐阜県海津市にある浄土宗の寺院である。
山号は臥龍山。 別名「月見寺」、「隠れ城」、「お月見の寺」。
行基入定の地の伝承がある。美濃高須藩藩主松平氏菩提寺である。
本尊は大日如来。西美濃三十三霊場27札所。

養老山地の中腹にあり、本堂、大書院、小書院、庫裡、松平家廟を有し、
高い石垣を持つ城郭風の伽藍であり、一見すると小規模な城である。
一説には、緊急時には高須藩の城としての機能を有していたという。
そのためか、寺院というより城の御殿に近い。
1705年(宝永2年)に造られた美しい回廊式庭園があり、
有料で拝観できる。
また、庫裡にある月見の間からは、濃尾平野が一望できる。


伝承によれば、744年(天平16年)、地方を巡っていた行基が
この地の洪水による被害を目の当たりにし、
聖武天皇に懇願し人々のために建立したという。
行基は、一般的な説では、668年(天智天皇7年)に生誕し、
749年(天平21年)、菅原寺で81歳で入滅し、
生駒市の竹林寺に埋葬されたとされているが、
行基寺の伝承によれば、677年(天武天皇6年)に生誕し、
757年(天平宝字元年)にこの地で入滅。埋葬されたとされている。
1336年(延元元年)、結城友定の手により焼失。
正平年間に再建される。
1702年(元禄15年)、美濃高須藩藩主松平義行が行基寺を松平氏菩提寺とし、
大規模な改修工事に着手する。1709年(宝永6年)、改修工事が完了する。
1820年(文政3年)、山門が建立される。
現在の本堂は1832年(天保3年)再建である。
明治維新になるまでは、一般の人々が参拝することを禁止していた。


駐車場から少し歩くと、総門が黒い塀越しに見えてきた。

境内にはどんな建物があるのか、わくわくしていた。

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総門

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本堂が見えている。

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お寺の建物に惹かれて(岐阜県の来振寺、華厳寺) [歴史的建築物]

寺院の建築物が好きで、以前からよく撮影している。

今回は、岐阜県揖斐郡の来振寺と華厳寺の写真を載せたいと思う。

撮影:OLYMPUS OM-D E-M5、lumix G VARIO 14-45mm/F3.5-5.6


まずは来振寺(きぶりじ)から。

(来振寺)の解説

伝承によれば、715年(霊亀元年)、法相宗新福寺として行基が開山したという。
725年(神亀2年)、新福寺の背後にある“白山”
(石灰岩で全体が白く見えた山。1968年から石灰採掘のため削られ、今は存在しない)
に黄色の雪が降るという現象が発生し、寺名を黄降(きぶり)と称した。
その後「来振」の字を当てるようになった。
937年(承平7年)、新義真言宗に改宗する。
1530年(享禄3年)の洪水で被害を受け、
1560年(永禄3年)には織田信長の焼き討ちにあい、伽藍は焼失する。
豊臣秀吉、徳川家康が朱印状を発行するなどの援助で復興し、
大垣藩戸田氏の保護を受ける。



入口から楼門までの参道には、

西国三十三観音堂がある。
(三十三ヶ寺の砂を台座下に納めるミニ霊場)

とても特徴的な景観になっている。



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楼門

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東海の善光寺 [歴史的建築物]

今回は稲沢の祖父江町にある善光寺を載せたいと思う。

建物は大きくて見栄えしている。

撮影:OLYMPUS OM-D E-M5、lumix G VARIO 14-45mm/F3.5-5.6

(善光寺東海別院)の解説

所在地
愛知県稲沢市祖父江町祖父江南川原57-2

善光寺東海別院(ぜんこうじとうかいべついん)は、
愛知県稲沢市祖父江町にある単立の仏教寺院である。
正式には双蓮山善光寺(そうれんざんぜんこうじ)という。
また長野県長野市にある信州善光寺をはじめとする
各地の善光寺との区別のため祖父江善光寺(そぶえぜんこうじ)、
尾張善光寺(おわりぜんこうじ)とも呼ばれている。



民家奥にそびえ建っている。

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