風景写真、猫の写真など載せています。楽しんでもらえればと思います。
僕の写真紀行は容量いっぱいになりましたので、 僕の写真紀行2に移行します。 またよろしくお願いします。鯖街道(総合版) [福井県]
(この記事は総合版なので、110枚ほどの写真を載せています。)
今回は、鯖街道沿いの村やゆかりの寺、名刹、滝など載せたいと思う。
(鯖街道の解説)
鯖街道(さばかいどう)とは、嶺南地方で獲れた魚介類を
京都に運ぶために整備された街道の歴史的名称。
その魚介類の中でも、特に鯖が多かったため、
「鯖街道」と言われるようになった。
現在の福井県小浜市から京都市左京区出町柳までの区間を指し、
国道27号(小浜市~若狭町上中)、国道303号(若狭町上中~高島市保坂)、
国道367号(高島市朽木~京都市左京区)にあたる
(往時の鯖街道は現在の国道367号ではなく、大見尾根を経由する山道であった)。
なお、広義では若狭地方から京都へ海産物を運んだ街道全てを鯖街道と呼ぶ。
若狭湾で取れた鯖に塩をまぶし、夜も寝ないで京都まで運ぶと、
ちょうど良い味になっていたと言われ、京の一般庶民にまで喜ばれ、
その到着を待ち望まれたために、
これを運ぶ道にいつしか鯖街道の名が付けられた。
運ぶ人達は「京は遠ても十八里」と唄いながら寝ずに歩き通した。
現在も国道367号沿線には、鯖寿司を生業とした店が多数存在する。
また、小浜市から京都市(左京区出町柳)までを
当時のルートで走り通す「鯖街道マウンテンマラソン」(距離:76km)が
毎年開催されている。
ルートの大半が未舗装路であり、高低差も大きいことから、
別名「ウルトラ山岳マラソン鯖街道マラニック(マラソン+ピクニック)」とも呼ばれる。
現在の日本は、多くのサバをノルウェーから輸入している。
これを指して、ノルウェーから日本への空路を「現代の鯖街道」と呼ぶ人もいる。
なお、現在は塩をまぶすのではなく冷凍で送られており、
アニサキスの心配はない。
葛川
今回は、鯖街道沿いの村やゆかりの寺、名刹、滝など載せたいと思う。
(鯖街道の解説)
鯖街道(さばかいどう)とは、嶺南地方で獲れた魚介類を
京都に運ぶために整備された街道の歴史的名称。
その魚介類の中でも、特に鯖が多かったため、
「鯖街道」と言われるようになった。
現在の福井県小浜市から京都市左京区出町柳までの区間を指し、
国道27号(小浜市~若狭町上中)、国道303号(若狭町上中~高島市保坂)、
国道367号(高島市朽木~京都市左京区)にあたる
(往時の鯖街道は現在の国道367号ではなく、大見尾根を経由する山道であった)。
なお、広義では若狭地方から京都へ海産物を運んだ街道全てを鯖街道と呼ぶ。
若狭湾で取れた鯖に塩をまぶし、夜も寝ないで京都まで運ぶと、
ちょうど良い味になっていたと言われ、京の一般庶民にまで喜ばれ、
その到着を待ち望まれたために、
これを運ぶ道にいつしか鯖街道の名が付けられた。
運ぶ人達は「京は遠ても十八里」と唄いながら寝ずに歩き通した。
現在も国道367号沿線には、鯖寿司を生業とした店が多数存在する。
また、小浜市から京都市(左京区出町柳)までを
当時のルートで走り通す「鯖街道マウンテンマラソン」(距離:76km)が
毎年開催されている。
ルートの大半が未舗装路であり、高低差も大きいことから、
別名「ウルトラ山岳マラソン鯖街道マラニック(マラソン+ピクニック)」とも呼ばれる。
現在の日本は、多くのサバをノルウェーから輸入している。
これを指して、ノルウェーから日本への空路を「現代の鯖街道」と呼ぶ人もいる。
なお、現在は塩をまぶすのではなく冷凍で送られており、
アニサキスの心配はない。
葛川
タグ:鯖街道
鯖街道(3部・最終) [福井県]
引き続き鯖街道を載せたいと思う。
瓜割の滝を後にしてから次に向かったのは明通寺であった。
(明通寺の解説)
明通寺(みょうつうじ)は、福井県小浜市門前にある真言宗御室派の寺院。
本尊は薬師如来。
大同元年(806年)、坂上田村麻呂によって創建されたと伝えられる。
本堂と三重塔は国宝に指定されている。
(福井には国宝は2つしかなく、それがこの寺の本堂と三重塔である。)
熊川から小浜に向かう街道の南。
松永川と遠敷川の2つの川が出合う地域は、遠敷(おにゆう)の里と呼ばれる。
遠敷(おにゆう)にあるこの名刹は、深い杉木立に包まれ、
古色を帯びた伽藍が立ち並ぶ。
古代からの里、遠敷(おにゆう)を中心とする小浜界隈には、奈良時代創建の
多田寺や羽賀寺をはじめ、130を超える寺院が文字通り林立する。
まさに小浜は、「海のある奈良」という言葉にふさわしい、
仏教文化が花開いた「浄土」であった。
瓜割の滝を後にしてから次に向かったのは明通寺であった。
(明通寺の解説)
明通寺(みょうつうじ)は、福井県小浜市門前にある真言宗御室派の寺院。
本尊は薬師如来。
大同元年(806年)、坂上田村麻呂によって創建されたと伝えられる。
本堂と三重塔は国宝に指定されている。
(福井には国宝は2つしかなく、それがこの寺の本堂と三重塔である。)
熊川から小浜に向かう街道の南。
松永川と遠敷川の2つの川が出合う地域は、遠敷(おにゆう)の里と呼ばれる。
遠敷(おにゆう)にあるこの名刹は、深い杉木立に包まれ、
古色を帯びた伽藍が立ち並ぶ。
古代からの里、遠敷(おにゆう)を中心とする小浜界隈には、奈良時代創建の
多田寺や羽賀寺をはじめ、130を超える寺院が文字通り林立する。
まさに小浜は、「海のある奈良」という言葉にふさわしい、
仏教文化が花開いた「浄土」であった。
2009-09-21 05:00
鯖街道(1部) [福井県]
今回は、鯖街道沿いの村やゆかりの寺、名刹、滝など載せたいと思う。
120枚ほどなので3回に分けて、最後にまとめます。
(鯖街道の解説)
鯖街道(さばかいどう)とは、嶺南地方で獲れた魚介類を
京都に運ぶために整備された街道の歴史的名称。
その魚介類の中でも、特に鯖が多かったため、
「鯖街道」と言われるようになった。
現在の福井県小浜市から京都市左京区出町柳までの区間を指し、
国道27号(小浜市~若狭町上中)、国道303号(若狭町上中~高島市保坂)、
国道367号(高島市朽木~京都市左京区)にあたる
(往時の鯖街道は現在の国道367号ではなく、大見尾根を経由する山道であった)。
なお、広義では若狭地方から京都へ海産物を運んだ街道全てを鯖街道と呼ぶ。
若狭湾で取れた鯖に塩をまぶし、夜も寝ないで京都まで運ぶと、
ちょうど良い味になっていたと言われ、京の一般庶民にまで喜ばれ、
その到着を待ち望まれたために、
これを運ぶ道にいつしか鯖街道の名が付けられた。
運ぶ人達は「京は遠ても十八里」と唄いながら寝ずに歩き通した。
現在も国道367号沿線には、鯖寿司を生業とした店が多数存在する。
また、小浜市から京都市(左京区出町柳)までを
当時のルートで走り通す「鯖街道マウンテンマラソン」(距離:76km)が
毎年開催されている。
ルートの大半が未舗装路であり、高低差も大きいことから、
別名「ウルトラ山岳マラソン鯖街道マラニック(マラソン+ピクニック)」とも呼ばれる。
現在の日本は、多くのサバをノルウェーから輸入している。
これを指して、ノルウェーから日本への空路を「現代の鯖街道」と呼ぶ人もいる。
なお、現在は塩をまぶすのではなく冷凍で送られており、
アニサキスの心配はない。
葛川
120枚ほどなので3回に分けて、最後にまとめます。
(鯖街道の解説)
鯖街道(さばかいどう)とは、嶺南地方で獲れた魚介類を
京都に運ぶために整備された街道の歴史的名称。
その魚介類の中でも、特に鯖が多かったため、
「鯖街道」と言われるようになった。
現在の福井県小浜市から京都市左京区出町柳までの区間を指し、
国道27号(小浜市~若狭町上中)、国道303号(若狭町上中~高島市保坂)、
国道367号(高島市朽木~京都市左京区)にあたる
(往時の鯖街道は現在の国道367号ではなく、大見尾根を経由する山道であった)。
なお、広義では若狭地方から京都へ海産物を運んだ街道全てを鯖街道と呼ぶ。
若狭湾で取れた鯖に塩をまぶし、夜も寝ないで京都まで運ぶと、
ちょうど良い味になっていたと言われ、京の一般庶民にまで喜ばれ、
その到着を待ち望まれたために、
これを運ぶ道にいつしか鯖街道の名が付けられた。
運ぶ人達は「京は遠ても十八里」と唄いながら寝ずに歩き通した。
現在も国道367号沿線には、鯖寿司を生業とした店が多数存在する。
また、小浜市から京都市(左京区出町柳)までを
当時のルートで走り通す「鯖街道マウンテンマラソン」(距離:76km)が
毎年開催されている。
ルートの大半が未舗装路であり、高低差も大きいことから、
別名「ウルトラ山岳マラソン鯖街道マラニック(マラソン+ピクニック)」とも呼ばれる。
現在の日本は、多くのサバをノルウェーから輸入している。
これを指して、ノルウェーから日本への空路を「現代の鯖街道」と呼ぶ人もいる。
なお、現在は塩をまぶすのではなく冷凍で送られており、
アニサキスの心配はない。
葛川
2009-09-19 08:41
夏風景・海(前編) [福井県]
夏といえば海が見たくなる方も多いと思う。
今回は夏の海を載せたいと思う。
福井県の敦賀半島で撮影している。
琵琶湖の畔から北上している。
まずは琵琶湖のスポーツの森のハスから。
敦賀の気比の松原にて撮影。
今回は夏の海を載せたいと思う。
福井県の敦賀半島で撮影している。
琵琶湖の畔から北上している。
まずは琵琶湖のスポーツの森のハスから。
敦賀の気比の松原にて撮影。
永平寺2009.4 [福井県]
今回は福井の永平寺と越前海岸を撮影してきたので
その写真を載せたいと思う。
写真の枚数が多いので永平寺と越前海岸は分けている。
この記事は永平寺だけを載せている。
永平寺近くで水仙を撮影。
正門参道で杉の大木を撮影。
その写真を載せたいと思う。
写真の枚数が多いので永平寺と越前海岸は分けている。
この記事は永平寺だけを載せている。
永平寺近くで水仙を撮影。
正門参道で杉の大木を撮影。
鯖街道 [福井県]
今回は、3/21撮影の近江八幡の八幡堀と鯖街道の写真を載せたいと思う。
朝一番は近江八幡の八幡堀を撮影した。
(八幡堀の解説)
八幡堀(はちまんぼり)は、滋賀県近江八幡市にある幅員約15メートル、
全長6キロメートルに及ぶ運河である。
安土桃山時代に豊臣秀次が八幡城を築城した際、
城下町の都市計画として整備され、城を防御する軍事的な役割と
琵琶湖の水運(当時の物流の要)を利用する商業的役割を兼ね備えた。
江戸時代には、近江商人(八幡商人)による町の発展に大きな役割を果たした。
朝一番は近江八幡の八幡堀を撮影した。
(八幡堀の解説)
八幡堀(はちまんぼり)は、滋賀県近江八幡市にある幅員約15メートル、
全長6キロメートルに及ぶ運河である。
安土桃山時代に豊臣秀次が八幡城を築城した際、
城下町の都市計画として整備され、城を防御する軍事的な役割と
琵琶湖の水運(当時の物流の要)を利用する商業的役割を兼ね備えた。
江戸時代には、近江商人(八幡商人)による町の発展に大きな役割を果たした。
タグ:鯖街道
12月の風景と頂きもののご紹介 [福井県]
ここのところ時間とお金に忙しくて旅行をしての撮影ができない。
なので雑多な写真ではあるが身近な風景をメインに
12月の風景を切り取った写真を載せたいと思う。
この2枚は北陸に用事があって出かけたときに東尋坊近くで撮影したもの。
なので雑多な写真ではあるが身近な風景をメインに
12月の風景を切り取った写真を載せたいと思う。
この2枚は北陸に用事があって出かけたときに東尋坊近くで撮影したもの。
永平寺 [福井県]
引き続き更新したいと思う。
9/6撮影の永平寺の写真とその帰り道に撮った写真である。
(この記事も写真の枚数が多いです。
写真に興味のある方だけ見てください。)
撮影:PENTAX K10D、TAMRON 18mm~200mm
稲穂が実ってきている。
この田んぼの脇の小道にはいのししが死んでいた。
いたちも死んでいた。
いたちを捕らえたいのししが車に轢かれたものと思われる。
とても可哀想な事であった。
9/6撮影の永平寺の写真とその帰り道に撮った写真である。
(この記事も写真の枚数が多いです。
写真に興味のある方だけ見てください。)
撮影:PENTAX K10D、TAMRON 18mm~200mm
稲穂が実ってきている。
この田んぼの脇の小道にはいのししが死んでいた。
いたちも死んでいた。
いたちを捕らえたいのししが車に轢かれたものと思われる。
とても可哀想な事であった。
2008-09-06 23:25
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漁村風景 [福井県]
今回は、9/6撮影の漁村の風景を載せたい。
今年の3月に越前海岸の風景を載せたが、それ以来の撮影になる。
(写真の枚数が多いです。
興味のある方だけ見てください。)
(3月の掲載分 海の風景
東尋坊と越前海岸)
撮影:PENTAX K10D、TAMRON 18mm~200mm
今年の3月に越前海岸の風景を載せたが、それ以来の撮影になる。
(写真の枚数が多いです。
興味のある方だけ見てください。)
(3月の掲載分 海の風景
東尋坊と越前海岸)
撮影:PENTAX K10D、TAMRON 18mm~200mm
2008-09-06 22:39
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海の風景 [福井県]
今回は、3/16撮影の海の風景を載せようと思う。
前回の海岸風景とは違って、今回は漁港風景と言ったほうがいいかも知れない。
越前海岸での撮影である。
今回も写真の枚数が多いので、ざーと流してみていただければと思う。
(もしよろしければ、好きな写真、好きな風景の番号を教えてください。)
撮影:PENTAX K10D、TAMRON 18mm~200mm
1.屋根越しに海が見える。
この写真は越前海岸ではなく、敦賀で撮影。
前回の海岸風景とは違って、今回は漁港風景と言ったほうがいいかも知れない。
越前海岸での撮影である。
今回も写真の枚数が多いので、ざーと流してみていただければと思う。
(もしよろしければ、好きな写真、好きな風景の番号を教えてください。)
撮影:PENTAX K10D、TAMRON 18mm~200mm
1.屋根越しに海が見える。
この写真は越前海岸ではなく、敦賀で撮影。