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風景写真、猫の写真など載せています。楽しんでもらえればと思います。

僕の写真紀行は容量いっぱいになりましたので、 僕の写真紀行2に移行します。 またよろしくお願いします。

揖斐川町の古刹 [歴史的建築物]

今はなかなか撮影に行けなくてブログの更新もままなりません。

しかし、今回はカメラを購入したので久しぶりに撮影してきました。

なので、載せたいと思います。

しばらくはたまに更新するだけになりますが、

以前のようにお付き合いくだされば光栄です。

今回購入したカメラは、2016年に発売されたカメラで、

決して新しいカメラではないのですが、

自分にとって初めてのキャノン機になります。

キャノンのカメラはずんぐりむっくりな感じがして、

どうも好きになれず、フィルム時代から敬遠してきました。

ところが、M5を見た時、結構四角張ってるなと思い気に入り、

キャノンのカメラってどんな感じなのかなと思い、

無性に使ってみたくなりました。




キャノン M5.jpg

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撮影:Canon EOS M5、SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC MACRO OS HSM

岐阜県揖斐川町には古刹が2つもあります。

まずは横蔵寺で撮影しています。




(横蔵寺の解説)


横蔵寺(よこくらじ)は岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲神原にある天台宗寺院。
山号は両界山、本尊は薬師如来。西美濃三十三霊場第一番札所。
重要文化財を含む多数の文化財を有し、「美濃の正倉院」とも呼ばれる。
紅葉の名所でもあり秋の行楽シーズンには特に多くの参拝客が訪れる。
このシーズンに「横蔵寺もみじまつり」が開催されライトアップが行われている。
西国三十三所観音霊場の最後(33番)の札所である谷汲山華厳寺の西方、
さらに奥まった山間の小さな盆地に位置する。
平安時代 - 鎌倉時代の仏像等、多くの文化財を有する古寺であるが、
草創や沿革については史料が乏しく、
平安時代末期ころまでの寺史はほとんど不明といってよい。
寺伝によれば、横蔵寺は日本天台宗の宗祖・最澄が
自作の薬師如来を安置して創建した寺とされている。
伝承によれば、最澄は比叡山延暦寺を開創する際に、
本尊薬師如来像を自ら刻んだが、その薬師如来像を造ったのと同じ霊木から、
もう1体の薬師如来像を造った。
最澄は、その2体目の薬師如来像を
笈(おい、山伏や山林修行者が背中に背負う箱状のもの)に入れて背負いながら
諸国を旅したが、延暦22年(803年)、横蔵寺のある地まで来た時に
薬師如来像が動かなくなったので、
ここに一寺を建立して薬師如来像を祀ることにし、
地元の三和次郎大夫藤原助基が寺を建立したという(創建年は801年あるいは805年とも)。
最澄自ら、笈を背負って都から遠く離れた美濃の山奥までやって来たというのは、
史実として信じることはできないが、
当寺が延暦寺と関係の深い寺院であることを示唆しているといえよう。
なお、創建当時の横蔵寺は現在地からさらに1.5キロメートルほど
奥に入った円山の頂上付近にあり、現在地に移ったのは近世初期である。
鎌倉時代には38坊を有する大寺院だったというが、
鎌倉時代 - 室町時代の寺史も、断片的にしかわかっていない。
横蔵寺に言及した中世以前の文献としては、
鎌倉時代後期の禅僧・無住の著である仏教説話集『沙石集』に
「横倉薬師」の霊験について記しているのが挙げられる程度である。


横蔵寺三重塔(岐阜県指定重要文化財)
現存する仏像の中で、大日如来像(重要文化財)には
平安時代最末期の寿永2年(1183年)の銘があり、
同年、三重塔の本尊として仏師筑前講師により造立されたことが明らかである 。
また、金剛力士(仁王)像には、建長8年(1256年)の銘があり、
作者は鎌倉時代を代表する仏師の一人である肥後別当定慶であることがわかっている。
寺史に関する史料の乏しい中で、これらの仏像の像内銘は貴重なものである。
元亀2年(1571年)、織田信長の兵火で焼失し、
現在ある本堂、三重塔、仁王門などの主要伽藍は江戸時代の復興である。
織田信長の比叡山焼き討ちによって、延暦寺の伽藍が灰になった後、
横蔵寺の本尊薬師如来像は、「延暦寺本尊と同じ霊木から造られた、最澄自作の像」
という由緒ある像だということで延暦寺に移された。
その代わりに、洛北の御菩薩池(みぞろがいけ、現・京都市北区の深泥池)から移されたのが、
横蔵寺の現本尊である薬師如来像であるという。




山門を撮影。

改修工事がなされていて、ビニールシートなど写らないよう角度を考えては撮影しています。

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山門をくぐると三重塔が見えてくる。

このシグマのレンズは逆光耐性が強いようです。

ルミックス G VARIO 12-60mm/F3.5-5.6で撮影したときは、

光が少しでも入ろうものなら、過剰な反応を起こして、

画質を低下させていました。

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時代を超えてきた、歴史がしみついた建物です。

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観音堂

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本堂

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今はちょうど彼岸花が咲く時期ですが、

オレンジ色の彼岸花が本堂脇に咲いていました。

珍しい色だなと思い撮影しました。

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これで横蔵寺を後にしました。

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次に華厳寺に行きました。

こちらはいつ行っても、ちらほらと参拝客がいます。

他の寺なら一人も会わないことが多いんですが。

(華厳寺の解説)

華厳寺(けごんじ)は、岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積にある天台宗の寺院。
山号は谷汲山(たにぐみさん)。本尊は十一面観世音菩薩(十一面観音)、
脇侍として不動明王と毘沙門天を安置する。
西国三十三所第33番札所、満願結願の寺院で桜、
紅葉の名所としても知られ多くの観光客で賑わう。


永禄3年(1560年)成立の『谷汲山根元由来記』によると、
華厳寺は延暦17年(798年)、会津黒河郷の豪族大口大領なる人物によって
創建されたという。
『由来記』によれば、大口大領は都の仏師に依頼して自らの信仰する
十一面観音(十一面観世音菩薩)の像を造立した。
彼は観音像とともに会津に帰ろうとしていたが、途中、
美濃国の赤坂(現・岐阜県大垣市)で観音像が動かなくなってしまった。
赤坂の北五里の山中に観音所縁の霊地があるというお告げを受け、
大口大領は同地に草庵を建立。
延暦末年に、当地で修行していた僧・豊然上人(ぶねんしょうにん)の
協力を得て華厳寺を建立した。
延暦20年(801年)、桓武天皇の勅願寺となり、延喜17年(917年)には
醍醐天皇が「谷汲山」の山号と「華厳寺」の扁額を下賜。
天慶7年(944年)には朱雀天皇が鎮護国家の道場として当寺を勅願所に定め、
仏具・福田として一万五千石を与えたという。
「谷汲山」という山号については、寺付近の谷から油が湧き出し、
仏前の灯明用の油が汲めども尽きなかったことに由来する。
西国三十三所霊場の中興者と伝承される花山法皇は徒歩で巡幸し、
当寺を第三十三番札所の満願所と定め、禅衣(笈摺)、杖、
および三首の御詠歌を奉納したと伝え、鎌倉時代には後白河法皇が
花山法皇の跡を慕って同行千有余人を従えて巡幸したという。
なお、西国三十三所巡礼について触れた最も古い史料である
『寺門高僧記』所収の「行尊伝」および「覚忠伝」では、
第三十三番の霊場は三室戸寺になっており、園城寺(三井寺)の僧・覚忠が
三十三所霊場を巡礼した応保元年(1161年)には、華厳寺は満願所ではなかった。
また、三種の御詠歌(後出)のうち、「世を照らす」の歌は作者が判明しており、
花山法皇ではなく、前出の覚忠の作歌である。
建武元年(1334年)足利氏と新田氏の戦乱が起こり、
新田氏一族堀口美濃守貞満の乱をはじめとする戦乱で
幾度となく諸堂伽藍を焼失するが、本尊ならびに脇侍等は山中に移し難を逃れた。
文明11年(1479年)、観音菩薩の夢告を受けた薩摩国鹿児島慈眼寺住職道破拾穀により、
再興されたと伝えられている。


総門をくぐると、左右にソメイヨシノの桜並木、土産物店、飲食店、
旅館などの立ち並ぶ参道が続き、距離にして約1km、徒歩10分ほどで仁王門に達する。
仁王門から本堂まではゆるやかな登りの石畳の参道となり、
右手には放生池、地蔵堂、茶所、一乗院、十王堂、羅漢堂、英霊堂、
三十三所観音堂、左手には法輪院、明王院、一切経堂、観音勢至像、本坊などがあり、
本坊の一画には大師堂、内仏客殿、庫裏が建つ。
参道突き当りの石段を上ると本堂があり、その右手に鐘楼堂、
本堂背後には阿弥陀堂、笈摺堂、子安堂、
そこからさらに石段を上った先に満願堂が建つ。
このほか、満願堂から徒歩約1時間ほどのところに奥の院がある。
山内には他に妙法ヶ滝、「菅原道真参籠の岩屋」などがある。


明王院

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百度石と焼香堂

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経堂

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いろいろな堂宇があります。

お寺ワールドが広がっています。

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本門

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本門と経堂

向かって右端にパイロンがあったので、

窮屈になっている。

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元三大師堂

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内仏客殿と庫裡

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英霊堂

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本堂

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本堂

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鐘楼堂

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満願堂

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本堂の屋根が見えています。

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納骨堂

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満願堂

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満願堂

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本堂

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本門

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経堂

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順番が最後になっていますが、

仁王門です。

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