風景写真、猫の写真など載せています。楽しんでもらえればと思います。
僕の写真紀行は容量いっぱいになりましたので、 僕の写真紀行2に移行します。 またよろしくお願いします。歴史的な建築物に惹かれて(岐阜県・小山寺と神光寺など) [歴史的建築物]
今回は、岐阜県美濃加茂市の小山寺、関市の神光寺と蓮華寺、
山県市の大福寺の写真を載せたいと思う。
風化した寺の建築物に非常に興味があり、そうでない建物にはあまり興味がないので、
寺自体を紹介した記事ではないです。
撮影:LUMIX GX7MK2、LEICA DG VARIO-ELMARIT 12-60mm/F2.8-4.0
小山寺を撮影。
飛騨川の風景写真も撮れると思い、行ってみたいと思った。
(小山寺の解説)
小山寺(しょうざんじ)は、岐阜県美濃加茂市にある臨済宗妙心寺派の寺院である。
山号は仁慈山。
通称「小山観音」、「こやま観音」、「子授け観音」。
毎年3月第1日曜日の初午祭は賑わう。
本尊は馬頭観音。三面六臂の立像で、養蚕の守護仏とされている。
また、開運のご利益があるという。
美濃三十三観音霊場第二十九札所。
飛騨川の中の岩の島にある。これは、元々は陸続きの岩山にあったが、
下流の木曽川に今渡ダムが完成すると周りが水没し、岩山は孤島となってしまったのである。
1938年(昭和13年)、かんのん橋が開通し、飛騨川左岸(下米田町)と結ばれる。
伝承によれば、平安時代末期、木曾義仲が母親の若名御前が
この近くで亡くなったさい、若名御前を弔う為に、
所持していた(若名御前の護身仏の説もある)1寸8分の馬頭観音を祀り、
観音堂を建立したのが始まりという。
室町時代の1450年~1500年頃、仁済禅師が、唐銭(周元通報)300枚を溶かして
高さ1尺の馬頭観音を作り、小山観音の新たな本尊としたという。
木曾義仲ゆかりの馬頭観音は秘仏とされる。
1657年(明暦3年)、小山観音堂は仁慈山 小山寺として開創される。
飛騨川に浮かぶ小舟を撮影。
干上がる沼に河童は呆然としていた。
次に神光寺に行った。
インターネットで調べてみると、かなり風化した本堂、鐘楼が目に入ったから
行ってみたいと思ったのである。
(神光寺の解説)
神光寺(じんこうじ)は岐阜県関市下有知の今宮山山麓にある高野山真言宗の寺院で、
山号を今宮山とする。
美濃三十三観音霊場24番札所であり、
美濃四国20番札所かつ中濃八十八ヶ所43番札所でもある。
本尊は平安時代作の十一面観世音菩薩像である。
養老3年(719年)に天台宗の僧、泰澄禅師が開いたとされる。
創建時の寺号は知られていない。
白山信仰にかかわりがあり、境内社として泰澄が加賀から
勧請したという白山神社があるほか、白山曼荼羅を所蔵する。
平安時代後期には源頼義が前九年の役に赴く際に先勝祈願を行い、
勝利を得たため伽藍整備を行ったと伝わる。
天喜5年(1057年)後冷泉天皇の勅願寺となり今宮山神光寺を名乗る。
その後戦禍に巻き込まれ寺運が傾くがも江戸時代の慶長年間に
高野山真言宗の僧、真栄により中興される。
曽代用水開削の際は住職の眞澄が開削を主導した喜田吉右衛門、
柴山伊兵衛、林幽閑を祀る井神社を創建した。
井神社は明治41年(1908年)に寺外に移されている。
また、柴山伊兵衛の墓が寺内にあるなど、曽代用水にかかわりの深い寺である。
風化した本堂、鐘楼があまりに惹きつけるものがある。
内心、来てよかったと思った。
いろいろなお寺に最近行っているが、
これほどの風化していて、魅力的な建物はなかなかない。
次に蓮華寺に行った。
建物はあまり撮っていない。
風化した感じのする建物はなかったからである。
(蓮華寺の解説)
金光山蓮華寺(れんげじ)は岐阜県関市植野にある真言宗智山派の寺院。
美濃四国84番札所で、尾張藩家老石河家香華所となっている。
治承4年(1180年)の以仁王の挙兵に参加した源頼政が、
敗北して自害した折にその首を源国政(山県国政)の領地である当地に葬ったのが起源とされ、
寺名は源頼政の戒名に因んでいる。
源頼政と伝わる首塚は蓮華寺西側の山中にある。(源頼政の墓の伝承地は当地を含め複数ある。)
その後寺勢は衰微したものの、江戸時代の寛文6年(1666年)に当地を訪れた
尾張藩家老であった石川正光が荒廃を嘆いて一族の菩提寺として再興し、外護した。
蓮華寺南西にある墓地には石河一族の墓があり、関市指定の重要文化財となっている。
源頼政の墓所
次に大福寺に行った。
山県市の文化財に指定されている大福寺観音堂を探索すべく、
大門地区に入る。
低い山並みを背に田畑が広がるその一角に、ひっそりと建つ
のが大福寺である。どうも無住のお寺のようだ。
小さな観音堂ではあるが、最も古い棟札は、1659年とかで、
その建立年代はこの年代と推定できる。
質素なお堂ではあるが、400年近く耐えた歴史を想像したい。
大福寺の前身は大福院であったと伝えられるが、その開創は
不詳で、元禄年間(1688~1704年)現在地に移転したと
いわれている。
観音堂(市の重要文化財)
鐘楼跡だと思われる。
誰も住んでいないようである。
山県市の大福寺の写真を載せたいと思う。
風化した寺の建築物に非常に興味があり、そうでない建物にはあまり興味がないので、
寺自体を紹介した記事ではないです。
撮影:LUMIX GX7MK2、LEICA DG VARIO-ELMARIT 12-60mm/F2.8-4.0
小山寺を撮影。
飛騨川の風景写真も撮れると思い、行ってみたいと思った。
(小山寺の解説)
小山寺(しょうざんじ)は、岐阜県美濃加茂市にある臨済宗妙心寺派の寺院である。
山号は仁慈山。
通称「小山観音」、「こやま観音」、「子授け観音」。
毎年3月第1日曜日の初午祭は賑わう。
本尊は馬頭観音。三面六臂の立像で、養蚕の守護仏とされている。
また、開運のご利益があるという。
美濃三十三観音霊場第二十九札所。
飛騨川の中の岩の島にある。これは、元々は陸続きの岩山にあったが、
下流の木曽川に今渡ダムが完成すると周りが水没し、岩山は孤島となってしまったのである。
1938年(昭和13年)、かんのん橋が開通し、飛騨川左岸(下米田町)と結ばれる。
伝承によれば、平安時代末期、木曾義仲が母親の若名御前が
この近くで亡くなったさい、若名御前を弔う為に、
所持していた(若名御前の護身仏の説もある)1寸8分の馬頭観音を祀り、
観音堂を建立したのが始まりという。
室町時代の1450年~1500年頃、仁済禅師が、唐銭(周元通報)300枚を溶かして
高さ1尺の馬頭観音を作り、小山観音の新たな本尊としたという。
木曾義仲ゆかりの馬頭観音は秘仏とされる。
1657年(明暦3年)、小山観音堂は仁慈山 小山寺として開創される。
飛騨川に浮かぶ小舟を撮影。
干上がる沼に河童は呆然としていた。
次に神光寺に行った。
インターネットで調べてみると、かなり風化した本堂、鐘楼が目に入ったから
行ってみたいと思ったのである。
(神光寺の解説)
神光寺(じんこうじ)は岐阜県関市下有知の今宮山山麓にある高野山真言宗の寺院で、
山号を今宮山とする。
美濃三十三観音霊場24番札所であり、
美濃四国20番札所かつ中濃八十八ヶ所43番札所でもある。
本尊は平安時代作の十一面観世音菩薩像である。
養老3年(719年)に天台宗の僧、泰澄禅師が開いたとされる。
創建時の寺号は知られていない。
白山信仰にかかわりがあり、境内社として泰澄が加賀から
勧請したという白山神社があるほか、白山曼荼羅を所蔵する。
平安時代後期には源頼義が前九年の役に赴く際に先勝祈願を行い、
勝利を得たため伽藍整備を行ったと伝わる。
天喜5年(1057年)後冷泉天皇の勅願寺となり今宮山神光寺を名乗る。
その後戦禍に巻き込まれ寺運が傾くがも江戸時代の慶長年間に
高野山真言宗の僧、真栄により中興される。
曽代用水開削の際は住職の眞澄が開削を主導した喜田吉右衛門、
柴山伊兵衛、林幽閑を祀る井神社を創建した。
井神社は明治41年(1908年)に寺外に移されている。
また、柴山伊兵衛の墓が寺内にあるなど、曽代用水にかかわりの深い寺である。
風化した本堂、鐘楼があまりに惹きつけるものがある。
内心、来てよかったと思った。
いろいろなお寺に最近行っているが、
これほどの風化していて、魅力的な建物はなかなかない。
次に蓮華寺に行った。
建物はあまり撮っていない。
風化した感じのする建物はなかったからである。
(蓮華寺の解説)
金光山蓮華寺(れんげじ)は岐阜県関市植野にある真言宗智山派の寺院。
美濃四国84番札所で、尾張藩家老石河家香華所となっている。
治承4年(1180年)の以仁王の挙兵に参加した源頼政が、
敗北して自害した折にその首を源国政(山県国政)の領地である当地に葬ったのが起源とされ、
寺名は源頼政の戒名に因んでいる。
源頼政と伝わる首塚は蓮華寺西側の山中にある。(源頼政の墓の伝承地は当地を含め複数ある。)
その後寺勢は衰微したものの、江戸時代の寛文6年(1666年)に当地を訪れた
尾張藩家老であった石川正光が荒廃を嘆いて一族の菩提寺として再興し、外護した。
蓮華寺南西にある墓地には石河一族の墓があり、関市指定の重要文化財となっている。
源頼政の墓所
次に大福寺に行った。
山県市の文化財に指定されている大福寺観音堂を探索すべく、
大門地区に入る。
低い山並みを背に田畑が広がるその一角に、ひっそりと建つ
のが大福寺である。どうも無住のお寺のようだ。
小さな観音堂ではあるが、最も古い棟札は、1659年とかで、
その建立年代はこの年代と推定できる。
質素なお堂ではあるが、400年近く耐えた歴史を想像したい。
大福寺の前身は大福院であったと伝えられるが、その開創は
不詳で、元禄年間(1688~1704年)現在地に移転したと
いわれている。
観音堂(市の重要文化財)
鐘楼跡だと思われる。
誰も住んでいないようである。
圧巻の一枚一枚を楽しませて頂きました。
by katakiyo (2020-06-03 20:57)
katakiyoさん、コメントありがとうございます。
楽しんでいただけて何よりです。
またお願いします。
by minsuke (2020-06-04 16:15)
新緑に埋もれるように佇む寺は風化に任せて昔の栄華を偲ばせますね。古い寺はこのまま朽ちで行くんでしょうか?
歴史が埋もれていくようですね。
by 旅爺さん (2020-06-04 19:14)
写真が大きいと、見ていてその場に居る気分になりますね。
和みました〜〜〜^^
by リュカ (2020-06-05 07:16)
飛騨川に浮かぶ小舟、屋根に五円玉が乗ってる!?
舟にかかるように木の枝を入れ込んだ構図がニクイです(≧∇≦)
2枚目のお写真に写っているのが「かんのん橋」かな?
あ、いや10枚目のお写真の方かな?こちらの方が古そうですね。
境内のようすもいい雰囲気ですね。
綺麗に掃除されていて、お供えしてあるお花も新鮮だし 大切に手入れされているのですね。
神光寺は、門越しの本堂 からの門をくぐってからの景色と臨場感があります。
確かに本堂と鐘楼、素晴らしい建物ですね。
古くなってより一層風格を増し、美しい…昔の人々が作った建物は素晴らしいですよね。
蓮華寺のお写真は、最後のお写真が好きです^^
枯葉が敷き詰められた参道の奥にある鳥居…
こういった静かな雰囲気、好きです^^
by ミケシマ (2020-06-08 18:01)
皆さん、コメントありがとうございました。
旅爺さん、今は新緑の時期で写真にしてみると綺麗なものですね。
文化財指定になっているものは税金で改修されると思いますよ。
それなりのものは残していくと思います。
リュカさん、見てくれる人に行ったような気分にさせたいと思っています。和んでいただければありがたいです。
ミケシマさん、確かに5円玉のデザインですね。
気づかなかったです。(-_-;)
写真を撮るのにいつも奥行き感をいかに出すか考えています。
手前に何か入れたいと常に思っているので、
それが木の枝だったり、山門だったり、塀だったりします。
褒めていただけてありがたいです。
小山寺は確かにいい感じでした。
今の時期でなかったら行けば必ず誰かいるような
人気のある憩いの場所になっている感じはありましたね。
神光寺は惚れ惚れするほどの建物でした。
蓮華寺は特に撮るものがなくてあ~外したなと思いましたね。(笑)
枯葉が敷き詰められた参道だけは確かに写真になるなと思いました。
よく見ていただいて、いつもありがとうございます。
by minsuke (2020-06-08 22:16)