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風景写真、猫の写真など載せています。楽しんでもらえればと思います。

僕の写真紀行は容量いっぱいになりましたので、 僕の写真紀行2に移行します。 またよろしくお願いします。

歴史的な建築物に惹かれて(愛知県・長光寺、性海寺と妙興寺) [歴史的建築物]

今回は地蔵堂で有名な長光寺と多宝塔や紫陽花で有名な性海寺、
そして一宮の大寺の妙興寺の写真を載せたいと思う。


撮影:OLYMPUS PEN E-PL9、LUMIX G VARIO 12-60mm
(一部、M.ZUIKO DIGITAL 45mm F1.8使用)

(長光寺の解説)

長光寺(ちょうこうじ)は、愛知県稲沢市にある臨済宗妙心寺派の寺院。

仁寿元年(851年)小野篁が陸奥の国に下る途中、この辺りに駐杖した際、
路傍に地蔵像を安置したのが始まりと伝わる。
1161年、尾張守であった平頼盛が病気平癒のお礼に六角堂を寄進した。
1336年、足利尊氏が戦のため上洛する際に太刀を奉納して武運を祈願し、
勝利したお礼に六角堂を祈願所として定めた。
1338年に尊氏が将軍宣下を受けると、山門などを奉納して再興している。
その後、織田氏・徳川家康・尾張徳川家によって庇護された。

●重要文化財
〇地蔵堂(六角堂) - 室町時代(1510年)建立
〇鉄造地蔵菩薩立像 - 鎌倉時代、文暦□年(二年)年銘(1235年)

楼門

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重要文化財の地蔵堂

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長光寺の境内にて撮影。

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次に性海寺に行った。
アジサイのお寺として有名らしい。
まだ紫陽花を見るには早かったが。

(性海寺の解説)

性海寺(しょうかいじ)は、愛知県稲沢市にある真言宗智山派の寺院。
本尊は善光寺式阿弥陀三尊像。

寺伝によれば、弘仁年間(810年~924年)空海によって愛染明王を本尊として
創建されたと伝えられ、治承年間(1177年~1181年)阿弥陀三尊像が安置されたという。
建久年間(1190年~1199年)に長谷部源政が開基となり良敏が開山となって中興されたという。
その後、北条時頼・足利尊氏・織田敏定・浅野長政・松平忠吉・徳川義直の庇護を受けた。
稲沢市では、境内隣の5703平方メートルを大塚性海寺歴史公園として平成4年に開園し、
毎年6月1日頃から「稲沢あじさいまつり」を開催している。
園内には、「伊豆の華」「カシワバアジサイ」「城ケ崎」など約90種1万株のあじさいがある。


●重要文化財(国指定)

〇本堂 附:旧須弥壇擬宝珠4箇
慶安元年(1648年)の建立。入母屋造杮葺き、方三間で、
正面向拝の屋根は唐破風造とする。
近世の建物だが、内部の天井、須弥壇などには中世の部材が残されている。
須弥壇には弘安4年(1281年)の墨書がある。
〇宝塔
本堂内に安置する、円筒形の塔身に宝形屋根を架けた形式の塔婆。
本尊を安置する厨子として用いられており、高さ2.6メートルの小塔であるが、
「建造物」として重要文化財に指定されている。
須弥壇と同じく弘安4年(1281年)頃の建立と推定される。
〇多宝塔 - 室町時代
〇木製漆塗彩色金銅種子装五輪塔(性海双円塔) 附:塔内納入品一括(明細は後出)
高さ48.7センチメートルの五輪塔。色漆と顔料で五色に彩色し、
その上に金銅製の種子(梵字)を貼り付ける。解体修理に伴い、
内部から能作生珠(のうさしょうしゅ)などの納入品が発見され、
納入文書の記載から塔は弘安8年(1283年)の作と判明した。


山門

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門をくぐってまず目に飛び込んできたのは、

魅力的な本堂だった。

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本堂

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これも重要文化財の多宝塔。

そもそも多宝塔を撮影したくて来たのだった。

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本堂を近くで撮影。

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鐘楼

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性海寺の境内にて撮影。

イモカタバミ

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この寺は紫陽花で有名だが、まだ少しばかり早いようだ。

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昼頃から晴れてきて、気持ちよかった。

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最後に妙興寺に行った。
この寺は大きい。

妙興寺(みょうこうじ)は、愛知県一宮市にある臨済宗妙心寺派の大寺院。
山号は、長嶋山(ちょうとうさん)、寺号は詳しくは妙興報恩禅寺と称する。
本尊は釈迦三尊、開山は滅宗宗興である。
周囲には、五つの塔頭がある。
古より「尾張に杉田(過ぎた)の妙興寺」と言われる。
新陰流開祖上泉信綱が修行した。無刀取り発祥の地。
修行道場として僧堂が設置されている。

創建以前には妙興寺廃寺(妙興寺跡)と呼ばれる古代寺院が建っており、
境内各所から出土する奈良時代の瓦によって8世紀には寺院建築が存在したことが確認されている。
その後寺院は、いつしか衰退し廃寺になった。
数百年後の貞和4年(1348年) 尾張国中島城主中島蔵人の次男滅宗宗興が
亡き父母の報恩に感謝するために創建され、
先師にあたる南浦紹明(なんぽじょうみん)を勧請開山とした。
伽藍が完成したのは貞治4年(1365年)のことである。
この間、文和2年(1353年)には 足利義詮の祈願所となり諸山に列し、
延文元年(1356年) 後光厳天皇の勅願寺となっている。
最盛期には、境内塔頭8、末寺13あったという。
ところが、応仁の乱を境に足利将軍家の庇護を失い、
戦国時代の戦乱によって多くの寺領を失い衰微する。
天正18年(1590年)寺の荒廃を憂いた豊臣秀次(あるいは豊臣秀吉)によって
京都妙心寺から南化玄興が招聘され再興がはじまり、
この時から妙心寺の末寺となった。
秀次が200石を寄進した後、秀吉が300石を朱印地として宛てがい、
後に松平忠吉に200石に減らされるも、これが尾張藩主によって代々安堵された。
明治時代に火災で伽藍を焼失し、方丈は明治26年(1893年)、
庫裏は明治30年(1897年)にそれぞれ再建された。
重要文化財の勅使門は創建当初来の遺構を今日に至るまで伝えている。
当門には1353年後光厳天皇より賜った勅額「国中無双禅刹」が掛かっている。

開山 大応国師   南浦紹明 延慶元年十二年廿九日遷化
創建 円光大照禅師 滅宗宗興 永徳元年七月十一日遷化
一世 正宗大暁禅師 峰翁祖一
二世 心王守性禅師 大興定菴
三世 大機円融禅師 聖翁享庵
四世 善一禅師
五世 伝心宗蜜禅師
六世 了山覚禅師

伽藍
境内全域が愛知県指定史跡であり、一宮市博物館が設置されている
勅使門 - 室町時代、国の重要文化財
総門 - 江戸時代、名古屋城から移築
鐘楼 - 江戸時代、愛知県指定有形文化財

三門

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仏殿

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仏殿

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仏殿

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修行道場としての僧堂

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