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風景写真、猫の写真など載せています。楽しんでもらえればと思います。

僕の写真紀行は容量いっぱいになりましたので、 僕の写真紀行2に移行します。 またよろしくお願いします。

歴史的な建築物に惹かれて(護国之寺・延算寺・乙津寺) [歴史的建築物]

今回は、護国之寺と延算寺と乙津寺の写真を載せたいと思う。

歴史を感じさせるお寺を撮るのが好きで、

自分の住んでいるところから割と近い場所にある雰囲気のありそうなお寺を

インターネットで調べては訪ねている。

撮影:OM-D E-M10 MarkIII、LUMIX G VARIO 12-60mm


(護国之寺の解説)

護国之寺(ごこくしじ)は、岐阜県岐阜市にある高野山真言宗の寺院である。
本尊は十一面千手観世音菩薩。
美濃三十三観音霊場第十七番札所。
美濃四国札所八十八番。美濃七福神(布袋尊)。
国宝の金銅獅子唐草文鉢をはじめ、数多くの岐阜県、岐阜市指定重要文化財がある。

伝承によれば、746年(天平18年)、聖武天皇の勅命により行基が開山したという。
この寺の開山に関しては、奈良の大仏造立に関わった
「日野金丸」(ひのきんまろ)の伝説がある。
1590年(天正18年)、兵火により焼失する。
江戸時代、再建が順次行われた。
現在の建物は元文 - 宝暦年間の建立である。
(1736年から1764年までの期間)


楼門を撮影。

インターネットで調べている時、

この楼門がとても素敵だったので撮影しに来た。

本堂もさぞかし大きくて歴史を感じさせる素晴らしいものだと期待したのだが・・・

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階段上には本堂が見えている。

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金華山の山頂に岐阜城が見えている。

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本堂

思ったほど規模は大きくなく、

歴史を感じるほどのほころびなどなかったので残念だった。

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本堂のすぐ近くに神社があった。

歴史を感じさせるなかなかの雰囲気があったので撮影。

護国之寺の本堂が修繕されすぎていたので、

ひなびたものが撮りたかった。

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県指定の杉の木もあった。

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駐車場に戻るところ。

そこには奥の院があったのだが、

それほど魅力的な建物ではなかったので、

割愛している。

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駐車場のある高台より撮影。

ここからも金華山が見えていて、

その山の頂に岐阜城が写っている。

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次に延算寺に行った。

駐車場から撮影。

7~8台ほど先に停まっていた。

ここはハイキングコースがあるようで、

コロナウイルス騒動のこの時期には、

こういうところで運動するのが一番いいと思った。

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コバノミツバツツジが咲いている。

延算寺のコバノミツバツツジ群落は、岐阜市指定天然記念物になっている。

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参道には石仏が並んでいた。

雰囲気があって楽しい。

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(延算寺の解説)

延算寺(えんさんじ)は、岐阜県岐阜市にある高野山真言宗準別格本山の寺院である。
山号は岩井山。本坊と東院とは500m程離れている。
ここでは本坊と東院の双方について記述する。
本坊の本尊は薬師如来。別名を「たらい薬師」という。
東院の本尊は薬師如来。別名を瘡神薬師(かさかみやくし)という。
美濃四国札所であり、延算寺東院は八十番札所。延算寺本坊は八十五番札所。
皮膚病に利益があるといわれ、東院には皮膚病に効果があるという霊水がある。

伝承によれば、815年(弘仁6年)、空海がこの地で霊水を見つけ、
薬師如来を祀ったのが起源であるという。
地元に伝わる昔話によると、805年(延暦24年)、
唐から帰国した最澄が因幡国岩井郡岩井に滞在し、ク
スノキで3体の薬師如来像を彫り上げた。
そのうち一体が空を飛び、美濃国岩井で座禅を組んでいた僧侶の前に現れたという。
驚いた僧侶は像をお祀ろうとしたが粗末な仏堂しか造れず、
地元の農民が用意した新しい盥の上に安置したという。
このことから、「たらい薬師」と呼ばれるようになったという。
空海がこの地を訪れた際、この薬師如来をお祀りする寺を建立し、
薬師如来を盥の上に安置した僧侶は空海の弟子となったという。
864年(貞観6年)、定額寺となる。
昌泰年間頃、天然痘(皮膚病の説あり)を患った小野小町が、
お告げにより疱疹、瘡を直すために延算寺に7日間こもる。
夢で「東に霊水がある。その水を体にすり込むと良い。」とお告げを聞き、
その水をすり込むと完治する。
この際、その霊水に延算寺の薬師如来を模した石仏を祀ったという。
これが東院の始まりであると伝えられている。
かつては大規模な伽藍であったというが、幾たびかの戦火で焼失する。
現在の本堂は1643年(寛永20年)再建である。


延算寺本坊

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本堂

その時は日差しが強かったので、

白飛びしやすく黒い建物は特に撮りづらい。

延算寺でも建物は他にも撮ったのだが、

載せるのにためらうものが多かった。

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鐘楼

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次に乙津寺を訪ねた。

(乙津寺の解説)

乙津寺(おっしんじ)は、岐阜県岐阜市にある臨済宗妙心寺派の寺院である。
山号は瑞甲山(ずいこうさん)。
通称「鏡島弘法」(かがしまこうぼう)、「鏡島の弘法さん」。別名「梅寺」。
正式名称より通称で呼ばれることが多い。毎月21日の縁日は大変賑わう。
本尊は十一面千手観世音菩薩、不動明王。
東海三十六不動尊霊場第三十一番札所。
美濃三弘法札所第三番札所。美濃四国札所第四十四札所。
美濃三十三観音第十九札所(2008年5月より)。

伝承によれば、738年(天平10年)、当時、乙津島と呼ばれていたこの地に、
行基が草庵を築き、十一面千手観世音菩薩を自ら彫刻し安置したのが始まりという。
813年(弘仁4年)、嵯峨天皇の勅命を受けた空海がこの地に赴き、
秘法を用いて龍神に向け鏡をかざしたところ、この地が桑畑に変わったという。
このことからこの地を鏡島(かがしま)と名づけたという。翌年、真言宗乙津寺を建立。
行基の草創、空海の再興という伝承は日本各地にみられるもので、
史実とは考えがたいが、現存する本尊千手観音立像は平安時代前期にさかのぼる作品であり、
寺の歴史の古さをうかがわせる。
1540年(天文9年)、洪水の被害を受ける。
その後、1545年(天文14年)、鏡島城主石河駿河守光清が孤岫宗峻を招いて再興、
臨済宗妙心寺派に改宗する。
1945年(昭和20年)、空襲により建物の殆どが全焼する。
本尊などの仏像などの重要な物は近くの長良川に運び出され、難を逃れる。
住職は小さな仮建物をつくり、安置する。
1953年(昭和28年)に国宝安置殿(本堂)が完成。
1958年(昭和33年)に弘法堂などの建物が再建された。

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