風景写真、猫の写真など載せています。楽しんでもらえればと思います。
僕の写真紀行は容量いっぱいになりましたので、 僕の写真紀行2に移行します。 またよろしくお願いします。お寺の建物に惹かれて(岐阜県の来振寺、華厳寺) [歴史的建築物]
寺院の建築物が好きで、以前からよく撮影している。
今回は、岐阜県揖斐郡の来振寺と華厳寺の写真を載せたいと思う。
撮影:OLYMPUS OM-D E-M5、lumix G VARIO 14-45mm/F3.5-5.6
まずは来振寺(きぶりじ)から。
(来振寺)の解説
伝承によれば、715年(霊亀元年)、法相宗新福寺として行基が開山したという。
725年(神亀2年)、新福寺の背後にある“白山”
(石灰岩で全体が白く見えた山。1968年から石灰採掘のため削られ、今は存在しない)
に黄色の雪が降るという現象が発生し、寺名を黄降(きぶり)と称した。
その後「来振」の字を当てるようになった。
937年(承平7年)、新義真言宗に改宗する。
1530年(享禄3年)の洪水で被害を受け、
1560年(永禄3年)には織田信長の焼き討ちにあい、伽藍は焼失する。
豊臣秀吉、徳川家康が朱印状を発行するなどの援助で復興し、
大垣藩戸田氏の保護を受ける。
入口から楼門までの参道には、
西国三十三観音堂がある。
(三十三ヶ寺の砂を台座下に納めるミニ霊場)
とても特徴的な景観になっている。
楼門
楼門から本堂(観音堂)を撮影。
本尊は十一面観音。
楼門脇を撮影。(参道側)
大師堂
右から聖天堂、不動堂。
大師堂
駐車場から大師堂を撮影。
ここで来振寺を後にした。
次に谷汲にある華厳寺に行った。
(華厳寺)の解説
華厳寺(けごんじ)は、岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積にある
天台宗の寺院。
本尊は十一面観世音菩薩(十一面観音)、
脇侍として不動明王と毘沙門天を安置する。
西国三十三所第33番札所、満願結願の寺院で桜、
紅葉の名所としても知られ多くの観光客で賑わう。
仁王門
奥に本堂が見えている。
本堂
本堂を西側から撮影
満願堂
見ざる聞かざる言わざる
サルではないように見える。
本堂を上から撮影。
今回は、岐阜県揖斐郡の来振寺と華厳寺の写真を載せたいと思う。
撮影:OLYMPUS OM-D E-M5、lumix G VARIO 14-45mm/F3.5-5.6
まずは来振寺(きぶりじ)から。
(来振寺)の解説
伝承によれば、715年(霊亀元年)、法相宗新福寺として行基が開山したという。
725年(神亀2年)、新福寺の背後にある“白山”
(石灰岩で全体が白く見えた山。1968年から石灰採掘のため削られ、今は存在しない)
に黄色の雪が降るという現象が発生し、寺名を黄降(きぶり)と称した。
その後「来振」の字を当てるようになった。
937年(承平7年)、新義真言宗に改宗する。
1530年(享禄3年)の洪水で被害を受け、
1560年(永禄3年)には織田信長の焼き討ちにあい、伽藍は焼失する。
豊臣秀吉、徳川家康が朱印状を発行するなどの援助で復興し、
大垣藩戸田氏の保護を受ける。
入口から楼門までの参道には、
西国三十三観音堂がある。
(三十三ヶ寺の砂を台座下に納めるミニ霊場)
とても特徴的な景観になっている。
楼門
楼門から本堂(観音堂)を撮影。
本尊は十一面観音。
楼門脇を撮影。(参道側)
大師堂
右から聖天堂、不動堂。
大師堂
駐車場から大師堂を撮影。
ここで来振寺を後にした。
次に谷汲にある華厳寺に行った。
(華厳寺)の解説
華厳寺(けごんじ)は、岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積にある
天台宗の寺院。
本尊は十一面観世音菩薩(十一面観音)、
脇侍として不動明王と毘沙門天を安置する。
西国三十三所第33番札所、満願結願の寺院で桜、
紅葉の名所としても知られ多くの観光客で賑わう。
仁王門
奥に本堂が見えている。
本堂
本堂を西側から撮影
満願堂
見ざる聞かざる言わざる
サルではないように見える。
本堂を上から撮影。
2020-03-14 20:54
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