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風景写真、猫の写真など載せています。楽しんでもらえればと思います。

僕の写真紀行は容量いっぱいになりましたので、 僕の写真紀行2に移行します。 またよろしくお願いします。

隠れ里の夏&猫 [猫と風景シリーズ]

今回は過去の写真から。

琵琶湖の隠れ里、菅浦の風景と猫の写真を載せたいと思う。

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この菅浦には隠れ里という言葉が対句のように用いられる。
実際、昭和46年に至るまで陸路がなく、
集落への交通は舟によるしかなかった。
島でもなくましてや湖岸の集落である。
確かに隠れ里と呼ばれるのも無理はないところだろう。
隠れ里云々というにはそのような物理的な要因だけでなく、
かつてこの村は惣と呼ばれる独特の自治組織が存在し、
集落の入口を厳重な門で固められ独自の政治が執り行われていたこと、
平安時代にまで文献に記録が残るほどの古い集落であることも
起因しているだろう。
江戸期はほぼ全期に亘り近江膳所藩領であった。
菅浦は琵琶湖交通の要津であり、古くからの漁港であった。
町の西端にある須賀神社は今でも数々の伝統行事が行われている。
集落の規模には不似合いな大きな神社で、
この存在も集落の神秘性を高めているといえる。
海とは違い潮の干満もない水際線は穏やかそのもので、
大きく茫洋と広がる水平線には海の感覚も覚えるが、
波打際の石に苔が生えているのは紛れもなく湖である。
繋留された漁船も小規模だ。
集落内は静寂が支配していた。
元々が半農半漁の集落であるゆえ、
大規模な商家や町家が残っているわけでなく、
保存に値するような古い町並が連続しているわけではない。
しかしこの湖水と背後の山地を控えて、
この集落は今でも秘境といえるような雰囲気を濃く残していることで、
郷愁を感じさせるに十分なものがあった。
集落の海側は古い石垣が続いている。かつての防波堤であろう。
このように琵琶湖北岸の集落には石垣による護岸が古くから築かれていた。
歴史を感じさせる風景である。
菅浦は冬の厳しい湖北にありながら、
南が湖に面し北が斜面であることもあって
蜜柑栽培も行われたという穏やかな地である。


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ここからは菅浦の近く、海津大崎の風景。

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ここからは飼い猫「みん」の写真。

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