風景写真、猫の写真など載せています。楽しんでもらえればと思います。
僕の写真紀行は容量いっぱいになりましたので、 僕の写真紀行2に移行します。 またよろしくお願いします。大晦日、京都にて。(総合版) [京都]
今回は、大晦日撮影の京都の風景を載せたいと思う。
(130枚ほど載せています。)
西本願寺の駐車場に車を置いて、歩き始めた。
西本願寺にて。
二条城に向かっている。
二条城は休城していて入れなかった。
それで次は平安神宮に向かった。
鴨川にかかる橋、丸太町橋にて。
平安神宮に到着した。
平安神宮(へいあんじんぐう)は、京都府京都市左京区にある神社である。
旧社格は官幣大社、勅祭社。現在は神社本庁の別表神社。
1895年(明治28年)3月15日に平安遷都1100年を記念して
京都で開催された内国勧業博覧会の目玉として
平安京遷都当時の大内裏の一部復元が計画された。
当初は、実際に大内裏があった千本丸太町に
朱雀門が位置するように計画されたが、用地買収に失敗し、
当時は郊外であった岡崎に実物の8分の5の規模で復元された。
博覧会の後は、建物がそのままにして、
平安遷都を行った天皇であった第50代桓武天皇を祀る神社として創祀された。
皇紀2600年にあたる1940年(昭和15年)に、
平安京で過ごした最後の天皇である第121代孝明天皇が祭神に加えられた。
平安神宮では、京都を守る四神の御守が授与されている。
1976年(昭和51年)1月6日、火災が発生し本殿・内拝殿など9棟が炎上、焼失した。
創建が比較的新しく文化財指定を受けていなかったため、
国からの補助金が見込めなかったが、
全国からの募金により3年後に再建された。
この火災は、後に新左翼活動家加藤三郎の犯行であることが判明した。
平安神宮の庭園を撮影。
平安神宮はここまで。
次は知恩院に向かって歩いている。
京都市美術館を撮影。
青蓮院にて。
ここからは知恩院。
三門
知恩院(ちおんいん)は、京都府京都市東山区にある浄土宗総本山の寺院。
山号は華頂山(かちょうざん)。
本尊は法然上人像(本堂)および阿弥陀如来(阿弥陀堂)、
開基(創立者)は法然である。
浄土宗の宗祖・法然が後半生を過ごし、没したゆかりの地に建てられた寺院で、
現在のような大規模な伽藍が建立されたのは、江戸時代以降である。
徳川将軍家から庶民まで広く信仰を集め、
今も京都の人々からは親しみを込めて「ちよいんさん」と呼ばれている。
四条天皇から下賜された寺号は「華頂山知恩教院大谷寺」という長いものであるが、
この名称は、寺の歴史を説明する時などを除いて通常は使われておらず、
法人としての寺院名も「宗教法人知恩院」であることから、
本項では「知恩院」と表記する。
歴史
知恩院は、浄土宗の宗祖・法然房源空(法然)が東山吉水(よしみず)、
現在の知恩院勢至堂付近に営んだ草庵をその起源とする。
法然は平安時代末期の長承2年(1133年)、美作国(岡山県)に生まれた。
13歳で比叡山に上り、15歳で僧・源光のもとで得度(出家)する。
18歳で比叡山でも奥深い山中にある西塔黒谷の叡空に師事し、
源光と叡空の名前の1字ずつを取って法然坊源空と改名した。
法然は唐時代の高僧・善導の著作『観経疏』を読んで「専修念仏」の思想に開眼し、
浄土宗の開宗を決意して比叡山を下りた。
承安5年(1175年)、43歳の時であった。
「専修念仏」とは、いかなる者も、一心に弥陀(阿弥陀如来)の名を唱え続ければ
極楽往生できるとする思想である。
この思想は旧仏教側から激しく糾弾され、攻撃の的となった。
法然は建永2年(1207年)には讃岐国(香川県)に流罪となり、
4年後の建暦元年(1211年)には許されて都に戻るが、翌年の1月、80歳で没した。
法然の住房は現在の知恩院勢至堂付近にあり、
当時の地名を取って「吉水御坊」「大谷禅坊」などと称されていた。
ここでの法然の布教活動は、流罪となった晩年の数年間を除き、
浄土宗を開宗する43歳から生涯を閉じた80歳までの長きにわたり、
浄土宗の中心地となった。
ここに法然の廟が造られ、弟子が守っていたが、
嘉禄3年(1227年)、延暦寺の衆徒によって破壊されてしまう。
文暦元年(1234年)、法然の弟子にあたる勢観坊源智が再興し、
四条天皇から「華頂山知恩教院大谷寺」の寺号を下賜された。
その後も永享3年(1431年)の火災や応仁の乱などで焼失するが、
その都度再興されている。
現存の三門、本堂(御影堂)をはじめとする壮大な伽藍が建設されるのは
江戸時代に入ってからのことである。
浄土宗徒であった徳川家康は慶長3年(1608年)から知恩院の寺地を拡大し、
諸堂の造営を行った。造営は2代将軍徳川秀忠に引き継がれ、
現存の三門は元和7年(1621年)に建設された。
寛永10年(1633年)の火災で、三門、経蔵、勢至堂を残しほぼ全焼するが、
3代将軍徳川家光のもとでただちに再建が進められ、
寛永18年(1641年)までにほぼ完成している。
徳川家が知恩院の造営に力を入れたのは、
徳川家が浄土宗徒であることや知恩院25世超誉存牛(ちょうよぞんぎゅう)が
松平氏第5代長親の弟であること、京都における徳川家の拠点とすること、
徳川家の威勢を誇示し、朝廷を牽制することといった、
政治的な背景もあったと言われている。
国宝
1.三門
本堂へ向かう急勾配の石段の途中に西面して建つ。
元和7年(1621年)の建立(平成の大修理で同年の墨書が発見されている)。
五間三戸の二重門である。
高さ24メートルの堂々たる門で、東大寺南大門より大きく、
現存する日本の寺院の三門(山門)のなかで最大の二階二重門である。
組物(軒の出を支える構造材)を密に並べるなど、細部の様式は禅宗様であり、
禅寺の三門に似た形式とする。
門の上層内部は釈迦如来像と十六羅漢像を安置し、
天井には龍図を描くなど、やはり禅寺風になっている。
日本三大門のひとつに数える説がある。
2.本堂
三門をくぐり、急な石段を上った先の台地に南面して建つ。
寛永16年(1639年)徳川3代将軍徳川家光によって建立。
宗祖法然の像を安置することから、御影堂(みえいどう)とも呼ばれる。
入母屋造本瓦葺き、間口44.8メートル、奥行34.5メートルの壮大な建築で、
江戸幕府造営の仏堂としての偉容を示している。
建築様式は外観は保守的な和様を基調としつつ、
内部には禅宗様(唐様)の要素を取り入れている。
柱間は正面11間、奥行9間で、手前3間分を畳敷きの外陣とし、
その奥の正面5間・奥行5間を内陣とする。
内陣の奥には四天柱(4本の柱)を立てて内々陣とし、宮殿(くうでん)形厨子を置き、
宗祖法然の木像を安置する。
徳川幕府の造営になる、近世の本格的かつ大規模な仏教建築の代表例であり、
日本文化に多大な影響を与えてきた浄土宗の本山寺院の建築としての
文化史的意義も高いことから、2002年、三門とともに国宝に指定されている。
屋根の上、中央に屋根瓦が少し積まれているが、
これは完璧な物はないことの暗喩だとされる。
2007年から屋根の修復作業が行われている。
本堂
知恩院はここまで。
知恩院を後にして高台寺周辺から二年坂、三年坂、清水寺周辺を歩いている。
清水寺は行ったばかりなので、今回はパスした。
それで清水寺の写真はない。
高台寺近くにて。
ねねの道
二年坂にて。
千枚漬けのかぶら。
清水寺近く。
ここからの撮影は、Ricoh GRdigital2にて。
京都駅に向かって歩いている。
京都駅の近くの東本願寺にて。
京都駅に到着。
京都駅近くの喫茶店にて。
店内の様子。
ここからの撮影は、再びPENTAX K-7
西本願寺にて。
撮影:Ricoh GRdigital2(京都駅、東本願寺)、PENTAX K-7(それ以外)
素晴らしい風景。
コメント投稿エラーになりませんように(;^_^A アセアセ・・・
by green_blue_sky (2010-01-02 09:04)
おはようございます。
どのお写真も風景も
素晴らしいですね。
心が落ち着いて豊になって
新年から幸せな気分になれました。
有難うございます。
by kaoru (2010-01-02 10:51)
あけましておめでとうございます。
新年早々、京都の写真見れて幸せ~です。
お坊さん達ご苦労様、日本のために力入れて祈って下さいd(^_^o) ネッ
カブの写真がいいですね。近未来の駅も、人力車も解説がまた凄い!
京都、寒いでしょうけど、今この時期行ってみたいですね。
今年も去年同様よろしくお願いします。
励ましやアドバイスのおかげで元気になれました。(^^ )ルン♪
by マリエ (2010-01-02 15:26)
わりと近所が写っていてビックリ!!
平安神宮の中を見たことがなかったんで、こう言う感じなのか~って思いました。 京都の数ある神社の中では、平安神宮はそんなに歴史がないって聞いたことがあったんですけれど、明治時代に出来たものなのですね。
今日、その平安神宮の前を通ってお出かけしましたけれど、すごい人でした。神宮道には出店も出ていて賑やかでしたよ(^^)
by Rae (2010-01-02 23:32)
明けましておめでとうございます。
新年早々、気持ちが引き締まるような写真がたくさん^^
なんだかありがたいです。
お坊さん達がたくさん歩いている写真、
とっても威厳があって、すがすがしいです。
by koume (2010-01-03 13:14)
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
今年もきれいなお写真、そしてみんさんを楽しみにしています♪
by soichiro (2010-01-05 14:11)
ご挨拶が遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。
平安神宮の朱色が鮮やかなこと。
ここは平安遷都1100年記念の建物なんですね。
たしか今年は奈良の平城遷都1300年でしたっけ。
で、こちらの目玉はあのせんと君 と(笑
私も大晦日のおつとめに備えるお坊様達に目がとまりました。
真っ白なタビ、その足音が静かに響くようです。
知恩院の門は本当に堂々と威厳がありますね。
あ、最新記事の「五重みんちゃん塔」も、
いつものみんちゃんよりちょっと威厳があって、かわいい~
by tano (2010-01-09 19:22)
去年は二度行きました。娘の合格祈願のために。
寒いときの京都も何だかいいものですよね。
by STEALTH (2010-01-11 09:15)
遅くなりましたが新年おめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。いろんな写真たのしみに
しております。
by kiko1578 (2010-01-12 22:46)
遅くなりましたが、本年も宜しくお願い致します。
素晴らしい画像でした~!
みんちゃんも久しぶりに見て嬉しくなりました。
by パトラ (2010-01-14 02:26)
霧ケ峰八島公園、行きました。良い花が咲くみたいですね。
by STEALTH (2010-01-16 12:39)
雪の高山、飛騨古川の写真まで見せていただきました。
今年は本当に雪が多いですね。
2008年の高山の写真と比べても雪の多いことがわかりました。
写真を撮られている間にも、高山の町の道がどんどん白くなっていくし。
古川の大ろうそくのお祭り、初めて知りました。
雪で作るろうそくの像?は珍しい、飛騨古川ならではですね。
ろうそくの横に立つ着物のお嬢さんの素手が冷たそうっ><;
みんちゃんの写真もたくさん見せてもらいました。
途中1枚、みんちゃんにウィンクしされちゃったわ~(笑
by tano (2010-01-19 23:47)