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風景写真、猫の写真など載せています。楽しんでもらえればと思います。

僕の写真紀行は容量いっぱいになりましたので、 僕の写真紀行2に移行します。 またよろしくお願いします。

小浜の紅葉(総合版) [福井県・紅葉]

今回は、鯖街道の起点に当たる福井県の小浜の紅葉を載せたいと思う。

小浜界隈には、奈良時代創建の多田寺や羽賀寺をはじめ、
130を超える寺院が林立する。
それ故、小浜は「海のある奈良」と呼ばれる。
今年の9月に「鯖街道」を巡って、小浜にある明通寺を撮影した。
明通寺の「古色蒼然」とした佇まいはとても印象的で
帰宅してからもその印象は余韻となって残った。
それで機会があればもう一度行ってみたいと思っていた。

(鯖街道の過去の記事をご覧になりたい方はこちら→鯖街道



松永川にかかる「「ゆずりはし」

橋を渡るとすぐに明通寺仁王門がある。

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明通寺仁王門

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仁王門越しに鐘楼を撮影。

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国宝の本堂と三重塔が見えている。

(明通寺の解説)


明通寺(みょうつうじ)は、福井県小浜市門前にある真言宗御室派の寺院。
本尊は薬師如来。
大同元年(806年)、坂上田村麻呂によって創建されたと伝えられる。
本堂と三重塔は国宝に指定されている。
(福井には国宝は2つしかなく、それがこの寺の本堂と三重塔である。)
熊川から小浜に向かう街道の南に位置する。
遠敷(おにゆう)にあるこの名刹は、深い杉木立に包まれ、
古色を帯びた伽藍が立ち並ぶ。

本堂(国宝)
正嘉2(1258)年上棟、文永2(1265)年落成。
石垣の基壇上に建つ入母屋造、檜皮葺きの建物。
平面は桁行(間口)5間(14.72m)、梁間(奥行)6間(14.87m)である。
屋根や隅軒の悠然とした勾配は鎌倉時代の特色を示す。
正面側を全て蔀戸(しとみど)とした住宅風の外観をもつ。
和様を基調としつつ、内部の構架には禅宗様の要素も取り入れている。
堂内は内部空間を内陣と外陣(礼堂)に明確に区画する中世仏堂特有の構成で、
寛政11(1799)年に内陣を拡張したとの記録がある。
大正12年(1923年)に解体修理。昭和28年(1953年)、国宝に指定。
三重塔(国宝)
文永7(1270)年上棟。総高22.12m。
和様を基調としているが、
初層に拳鼻(こぶしばな、部材の末端部に拳状の装飾彫刻を施したもの)を用いる点に
大仏様(だいぶつよう)の要素が現れており、塔に拳鼻を用いた最古例とされている。
初層内部は四天柱(仏壇を囲む4本の柱)が立ち、
釈迦三尊像と阿弥陀三尊像を安置して仏堂風の扱いとする。
柱や壁には十二天などの絵画を描くが、建立当初のものではない。
天文8(1539)年と元禄15(1702)年に、それぞれ修理が行われた。
明治27年(1894年)以降、屋根は瓦葺となっていたが、
昭和32年(1957年)の修理の際、桧皮葺に戻された。
昭和28年(1953年)、本堂とともに国宝指定。明通寺の創建1,200年を記念して、
2006年4月から11月まで初層内部が一般公開された。

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本堂

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三重塔

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本堂

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本堂

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三重塔初重部分

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明通寺には丸々太った立派な鯉がたくさんいる。

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明通寺はここまで。

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明通寺を後にして、次に向かったのは神宮寺であった。

神宮寺のたたずまいには厳しさと優しさが調和している。

3月2日、神宮寺でお水取りの神事が行われ、若狭の春が明ける。

それは、奈良東大寺のお水取りの序章でもある。



神宮寺にて。

(神宮寺の解説)

山号霊応山。天台宗。
若狭一の宮の神願寺として成立、縁起によれば元正天皇の勅命により
和銅7年(714)に泰澄大師の弟子沙門滑元の創建したといわれている。
鎌倉初期、若狭彦神社別当寺神宮寺と改名、
七堂伽藍二十五坊を誇ったが、豊臣時代に寺領を没収され、
さらに明治初期の廃仏毀釈によって衰微した。

本堂は、室町時代末期、天文22年(1553)越前守護朝倉義景が再建した。
大きさは間口14.34m、奥行き16.60mである。
建築様式は、和様を主体にしたなかに、木鼻に天竺様繰形、
唐用束梁などの大陸の技法が用いられており、
妻飾も軒隅の反転とともに華麗な姿を表している。

仁王門は、神宮寺北の玄関口で、間口6.37m、奥行き3.64m、
棟高5.5mで8本の柱の上にこけらぶきの屋根がのっていた。
構造や規模は簡素であるが、珍しい形をした蓑束などの様式は
室町建築の先駆とさえいわれている。
両端に安置されている木造金剛力士像には、至徳2年(1385)の墨書がみえる。
 
毎年3月2日、奈良東大寺二月堂に香水を送る「お水送り」神事を行っている。
若狭では、お水送りが終わると春が訪れるといわれている。
神宮寺所蔵の木造男神・女神坐像は、国の重要文化財に指定されている。
室町初期の作で、男神像は衣冠束帯(像高49.1cm)、女神像は小袿姿(像高50.9cm)、
若狭一の宮の神宮寺奥の院に伝えられたの神像である。

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奥に見えるのは仁王門。

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仁王門(北門)(国指定の重要文化財)

鎌倉時代末期に造られる。

仁王門は、神宮寺北の玄関口で、間口6.37m、奥行き3.64m、
棟高5.5mで8本の柱の上にこけらぶきの屋根がのっていた。
構造や規模は簡素であるが、珍しい形をした蓑束などの様式は
室町建築の先駆とさえいわれている。
両端に安置されている木造金剛力士像には、至徳2年(1385)の墨書がみえる。

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神宮寺はここまで。

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ここからは萬徳寺にて。

神宮寺からほど近い場所に、花の名所として知られている萬徳寺がある。
国指定名勝の庭園を持つ寺院で、春はツツジ、初夏は新緑、秋は紅葉が、
白砂を敷きつめた枯山水庭園を彩る。
のどかな山々や田園風景の景色と相まって、
四季折々に様々な表情を見せてくれるお寺である。

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本堂

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本堂

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萬徳寺はここまで。

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ここから3枚は若狭姫神社。

小浜市下根来白石に鵜の瀬というところがある。
遠敷川の清流が巨巌に突き当たって淵をなしておる。
この巨巌の上に、先づ若狭彦神、次いで若狭姫神が降臨されたと伝える。
この南方150mのところに、創祀の社と伝える白石神社がある。
その後、永久鎮座の地をもとめて、若狭国を巡歴なされた末、
霊亀元年九月十日に、龍前に若狭彦神社、
六年の後、即ち、養老五年二月十日に、遠敷に若狭姫神社が鎮座。
上下分かれての鎮座は、深き幽契の存するところと恐察しまつる。
下社を古来、若狭姫神社、遠敷神社(遠敷明神)とも称したが、
明治初年、国幣中社に列せられて、官祭を仰せ出された後は、
若狭姫神社、または若狭彦神社下社と公称されるようになった。
また上社及び下社を併せて、若狭彦神社とも、上下宮ともたたえまつる。

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小浜の漁港風景。

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小浜を後にして敦賀経由の海岸沿いで帰ろうかとも思ったが、

鯖街道を走って琵琶湖に出ることにした。



小浜を後にしてじきに瓜割の滝がある。

滝と言っても、高低差がある滝ではないので全体像は撮らなかった。


瓜割の滝(うりわりのたき)は、福井県三方上中郡若狭町にある滝で、
名水百選の一つ。湧水の流量は4,500t/日。
水温が11.7℃と冷たく、その冷たさで瓜が自然に割れたとの故事から
「瓜割の滝」と呼ばれる。
泰澄大師が開いた天徳寺(真言宗)の境内奥の森中にある。
滝周辺は元々「水の森」と呼ばれる修験者の修行地で、
また朝廷の雨乞いを司る祈祷所だったとされる。
また、水中には紅藻類が繁殖しているため、
水中の石が赤く染まっている。

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熊川宿にて。

熊川宿(くまがわじゅく)は福井県若狭町にある
若狭と京都を結ぶ旧鯖街道の宿場。
若狭町熊川宿伝統的建造物群保存地区の名称で
国選定重要伝統的建造物群保存地区。
室町時代に沼田氏が山城を築いた地にあり、
天正17年(1589年)に小浜城主浅野長政が
江若を結ぶ街道の宿場町として整備した。
その後は江戸時代を通して鯖街道随一の宿場町として繁栄した。
近代以降はモータリゼーションの影響で旧街道は衰退し、
近年の戸数はピークである江戸時代中期の約半分になった。
そのため当地域は再開発されることなく古い町並みが残り、
1996年に重要伝統的建造物群保存地区に選定される。
その後、古建築を活用した資料館、食事処、喫茶店、雑貨店、
また道の駅若狭熊川宿が開設され、
さらに80年間途絶えていた祭り「てっせん踊り」が復活するなど、
観光地として発展を始めている。

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熊川宿はここまで。

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ここからは琵琶湖にて。

もう鯖街道ではなく、湖岸道路を走っている。

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余呉湖にて。

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撮影:PENTAX K20D、panasonic LUMIX DMC-G1


コメント(4) 
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コメント 4

マリエ

ゆずり橋、また渡れました。朱色が鮮やか~
総合版はホント楽しみです。(*^_^*)
福井、鯖街道、とっても行ってみたくなりました。
by マリエ (2009-11-26 12:00) 

green_blue_sky

なごむ風景、いいですね。
水のそばが好きです(^○^)

暖かい日が続くと、外猫にはいいです。
そして日向ぼっこをしながら猫たちは寝ています~
by green_blue_sky (2009-11-26 13:11) 

そらまめ

こんばんは。
メッセージありがとうございました。
カレンダー小、OKしました。
抽選まで少々お待ちください♪
流れる水がきれいですね~。
そして、古い街並みやお寺の後に
近代的な建築物を見ると
不思議な感じがしますね。

by そらまめ (2009-11-26 20:38) 

kaoru

おはようございます。
美しくて素晴らしい風景ですね。
心が落ち着いてほっこりと
優しい気持ちになります。
私も時を忘れてこんな所でのんびりと
散策を楽しみつつ過ごしてみたいです。
by kaoru (2009-11-27 09:18) 

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