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風景写真、猫の写真など載せています。楽しんでもらえればと思います。

僕の写真紀行は容量いっぱいになりましたので、 僕の写真紀行2に移行します。 またよろしくお願いします。

古寺に惹かれて(1部・横蔵寺) [滋賀県古寺シリーズ]

今回は、古寺を主に載せたいと思う。

川の風景や村の風景も撮影順に入れたいと思っている。

写真は70枚ほどなので2回に分けて、後でまとめます。



まずは横蔵寺に向かっている。

山を越え、川を越えて行く。

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横蔵寺に到着した。

赤い橋は医王橋。

(横蔵寺の解説)

横蔵寺(よこくらじ)は岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲神原にある天台宗寺院。
山号は両界山、本尊は薬師如来。西美濃三十三霊場第一番札所。
国の重要文化財を含む多数の文化財を有し、「美濃の正倉院」とも呼ばれる。
紅葉の名所でもあり秋の行楽シーズンには特に多くの参拝客が訪れる。

平安時代~鎌倉時代の仏像等、多くの文化財を有する古寺であるが、
草創や沿革については史料が乏しく、
平安時代末期ころまでの寺史はほとんど不明といってよい。
寺伝によれば、横蔵寺は日本天台宗の宗祖・最澄が
自作の薬師如来を安置して創建した寺とされている。
伝承によれば、最澄は比叡山延暦寺を開創する際に、
本尊薬師如来像を自ら刻んだが、その薬師如来像を造ったのと同じ霊木から、
もう1体の薬師如来像を造った。
最澄は、その2体目の薬師如来像を
笈(おい、山伏や山林修行者が背中に背負う箱状のもの)に入れて
背負いながら諸国を旅したが、
延暦22年(803年)、横蔵寺のある地まで来た時に
薬師如来像が動かなくなったので、
ここに一寺を建立して薬師如来像を祀ることにし、
地元の三和次郎大夫藤原助基が寺を建立したという。
最澄自ら、笈を背負って都から遠く離れた美濃の山奥までやって来たというのは、
史実として信じることはできないが、
当寺が延暦寺と関係の深い寺院であることを示唆しているといえよう。

横蔵寺に現存する仏像の中で、大日如来像(重要文化財)には
平安時代最末期の寿永2年(1183年)の銘があり、
同年、三重塔の本尊として造立されたことが明らかである。
また、金剛力士(仁王)像には、建長8年(1256年)の銘があり、
作者は鎌倉時代を代表する仏師の一人である定慶(じょうけい)
であることがわかっている。
横蔵寺は、元亀2年(1571年)、織田信長の兵火で焼失し、
現在ある本堂、三重塔、仁王門などの主要伽藍は江戸時代の復興である。
織田信長の比叡山焼き討ちによって、延暦寺の伽藍が灰になった後、
横蔵寺の本尊薬師如来像は、
「延暦寺本尊と同じ霊木から造られた、最澄自作の像」という由緒ある像だ
ということで延暦寺に移された。
その代わりに、洛北の御菩薩池(みぞろがいけ、現・京都市北区の深泥池)から
移されたのが、横蔵寺の現本尊である薬師如来像であるという。
横蔵寺は、多くの文化財を有する寺として知られるとともに、
「ミイラのある寺」として知られている。
舎利堂に安置される「舎利仏」すなわちミイラは、
妙心法師という人物の遺体である。
妙心法師は横蔵寺の地元の村の出身で、俗名を古野小市良と言った。
天明元年(1781年)に生まれ、諸国を巡って仏道修行をし、
文化14年(1817年)、断食修行の後、今の山梨県都留市で即身成仏したという。
遺体は何らの加工もなく、自然にミイラ化したとされ、
当初は成仏した地の山梨県で保存されていたが、
遺族らの要望により、明治23年(1890年)、
本人の出身地の横蔵寺に移された。


重要文化財(国指定)
木造薬師如来坐像(秘仏で六十年に一回開帳される)
木造大日如来坐像
木造四天王立像
木造十二神将立像
木造深沙大将立像
木造金剛力士立像
板彫法華曼荼羅

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山門

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山門

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山門

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三重塔

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三重塔

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瑠璃橋

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山門越しの香堂

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三重塔

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山門

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山門

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山門

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山門

本堂は改修中で撮影できなかった。

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三重塔の初重部分

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観音堂

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瑠璃殿へと続く石段

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舎利殿

この中にミイラがある。

撮影は禁止だった。

瑠璃殿の中の木像も撮影は禁止だったので載せることはできない。

このあたりは寺を記事にすることの限界かなと思う。

ミイラに関しては解説をご参照ください。

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横蔵寺の出口にある無人販売所

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栗やお茶など売られていた。

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横蔵寺はここまで。

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303号線で岐阜から木之本に向かった。

その際に撮影したもの。

「恋のつり橋」

カップルでにぎやかな時もある。

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田舎の風景が続く。

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撮影:panasonic LUMIX DMC-G1

次回続きを載せたいと思います。


タグ:横蔵寺 谷汲

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