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風景写真、猫の写真など載せています。楽しんでもらえればと思います。

僕の写真紀行は容量いっぱいになりましたので、 僕の写真紀行2に移行します。 またよろしくお願いします。

奈良・東大寺周辺(1部) [奈良]

今回は、奈良の東大寺周辺のお寺や風景を載せたいと思う。

70枚ほどなので2回に分けて、後でまとめます。



人が多くて集中力がそがれた。

それで東大寺の写真はあまりない。


(東大寺の解説)

東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の仏教寺院である。
奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。
「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とし、
開山(初代別当)は良弁僧正(ろうべんそうじょう)である。
奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、
東西2つの七重塔(推定高さ約100メートル)を含む大伽藍が整備されたが、
中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。
現存する大仏は、台座などの一部に当初の部分を残すのみであり、
現存する大仏殿は江戸時代、18世紀初頭の再建で、創建当時の堂に比べ、
間口が3分の2に縮小されている。「大仏さん」の寺として、
古代から現代に至るまで広い信仰を集め、
日本の文化に多大な影響を与えてきた寺院であり、
聖武天皇が当時の日本の60余か国に建立させた国分寺の中心をなす
「総国分寺」と位置づけられた。
東大寺は1998年に古都奈良の文化財の一部として、
ユネスコより世界遺産に登録されている。

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南大門

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南大門の木造金剛力士像

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東大寺から春日大社へ向かった。

東大寺の三月堂のすぐそばには手向山神社がある。

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春日大社が見えてきた。

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(春日大社の解説)

春日大社(かすがたいしゃ)は、奈良県奈良市の奈良公園内にある神社である。
全国にある春日神社の総本社である。
藤原氏の守護神である武甕槌命と経津主命、
祖神である天児屋根命と比売神を祀る。
四神をもって藤原氏の氏神とされ、春日神と総称される。
神紋は下がり藤。
武甕槌命が白鹿に乗ってやってきたとされることから、鹿が神使とされる。

奈良・平城京に遷都された710年(和銅3年)、
藤原不比等が藤原氏の氏神である鹿島神(武甕槌命)を
春日の御蓋山に遷して祀り、春日神と称したのに始まる。
社伝では、768年(神護景雲2年)に藤原永手が鹿島の武甕槌命、
香取の経津主命と、枚岡神社に祀られていた天児屋根命・比売神を併せ、
御蓋山の麓の四殿の社殿を造営したのをもって創祀としている。
ただし、近年の境内の発掘調査により、
神護景雲以前よりこの地で祭祀が行われていた可能性も出てきている。
藤原氏の隆盛とともに当社も隆盛した。
平安時代初期には官祭が行われるようになった。
当社の例祭である春日祭は、賀茂神社の葵祭、
石清水八幡宮の石清水祭とともに三勅祭の一つとされる。
850年(嘉承3年)には武甕槌命・経津主命が、
940年(天慶3年)には、朝廷から天児屋根命が
最高位である正一位の神階を授かった。
延喜式神名帳には「大和国添上郡 春日祭神四座」と記載され、
名神大社に列し、月次・新嘗の幣帛に預ると記されている。
藤原氏の氏神・氏寺の関係から興福寺との関係が深く、
813年(弘仁4年)、藤原冬嗣が興福寺南円堂を建立した際、
その本尊の不空絹索観音が、当社の祭神・武甕槌命の本地仏とされた。
神仏習合が進むにつれ、春日大社と興福寺は一体のものとなっていった。
11世紀末から興福寺衆徒らによる強訴がたびたび行われるようになったが、
その手段として、春日大社の神霊を移した榊の木(神木)を奉じて
上洛する「神木動座」があった。
明治4年に春日神社に改称し、官幣大社に列した。
1946年(昭和21年)12月に現在の春日大社に改称した。

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白毫寺まで歩いた。

(白毫寺の解説)

白毫寺(びゃくごうじ)は、奈良県奈良市白毫寺町にある真言律宗の寺院。
本尊は阿弥陀如来。開基(創立者)は勤操(ごんそう)と伝える。
奈良市街地の東南部、春日山の南に連なる高円山の山麓にあり、
境内から奈良盆地が一望できる景勝地に建つ寺である。
関西花の寺二十五霊場第18番(萩)。
なお、寺号の「白毫」は、仏の眉間にある白い巻毛のことである。
霊亀元年(715年)、天智天皇の第7皇子である志貴皇子の没後、
天皇の勅願によって皇子の山荘跡を寺としたのに始まると伝えられる。
また、かつてこの高円山付近に存在した石淵寺(いわぶちでら)の一院で
あったともいう。
石淵寺は空海の剃髪の師であった勤操が建てたとされる寺院である。
鎌倉時代になって西大寺の叡尊によって再興され、
叡尊の弟子である道照が将来し経蔵に収めた宋版一切経の摺本によって、
一切経寺とも呼ばれ繁栄した。
室町時代に兵火で建物が焼失し衰退するが、
江戸時代の寛永頃に興福寺の空慶により復興される。

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弥勒菩薩は、菩薩界で修行をされていて、

56億7000万年後に地球に現れて、

仏の悟りを得て、衆生に仏教を説くと釈迦は予言した。

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撮影:PENTAX K20D

続きは明日載せます。



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