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風景写真、猫の写真など載せています。楽しんでもらえればと思います。

僕の写真紀行は容量いっぱいになりましたので、 僕の写真紀行2に移行します。 またよろしくお願いします。

山中にある美しい磨崖仏 [滋賀県古寺シリーズ]

今回は、金勝寺と狛坂磨崖仏の写真を載せたいと思う。

金勝寺や狛坂磨崖仏は白州正子さんの著書「かくれ里」で紹介されているので

実際に見に行かれた方もおられると思う。

僕はその本を書店で見かけたことはあるが読んでいない。

5年ほど前に、「婦人画報」の近江路の特集で狛坂磨崖仏の写真を見たことがあり、

その大きさと美しさに深い感銘を受けた。

それからしばらくたってはいるが、ようやく見ることができた。

写真は80枚ほどあるので2回に分けて、後半で狛坂磨崖仏を載せたいと思う。



金勝山近くの里山の風景。

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金勝寺入り口

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金勝寺


金勝寺(こんしょうじ)は、滋賀県栗東市荒張にある天台宗の寺院。
山号は金勝山。本尊は釈迦如来。開基は良弁(ろうべん)と伝える。
古くは大菩提寺と称し、
湖南地方の仏教の一大拠点として栄えた大寺院であった。

寺は栗東市の南方、金勝山(こんぜやま)の山中に位置する。
金勝山は単独の峰ではなく、竜王山(605m)、鶏冠山(491m)
などの山系を指す名称で、
東北方に位置する阿星山、東方に位置する飯道山とともに、
金粛菩薩(こんしょうぼさつ)の霊地とされている。
金粛菩薩とは東大寺の開山・初代別当とされる良弁(ろうべん)のことで、
この地域には他にも長寿寺、常楽寺などの
金粛菩薩(良弁)開基を伝える寺院群がある。
金勝寺の開基も金粛菩薩とされ、
往時は山中に36坊、付近に25別院を有する、
湖南地方の仏教の中心寺院であった。
現在も近隣には金勝寺二十五別院の一であったとされる寺院が点在する。
また、金勝寺の西方の山中には
平安時代初期の作とされる狛坂磨崖仏(国の史跡)があり、
この地域の仏教文化の歴史の古さがわかる。
金勝寺は初期には法相宗系の寺院であったが、
近江地方は比叡山が存在する関係で天台宗の勢力が強く、
この寺も平安時代後期頃から天台系となり、
現在は天台宗毘沙門堂門跡(京都市山科区)の末寺となっている。

金勝寺は、寺伝では天平5年(733年)、聖武天皇の命により、
紫香楽宮の鬼門鎮護のため良弁(ろうべん)が創建したという。
建武2年(1335年)には後醍醐天皇の綸旨により
同天皇の祈願所となっている。
往時は山上に36坊を数えたというが、
天文18年(1549年)の火災で焼失し衰退した。
その後再建され、近世には徳川家康が30石を与えているが
往時の規模を取り戻すことはなかった。


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馬頭観音駐車場に車を停めて狛坂磨崖仏を目指して歩き始めた。

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国見岩

花崗岩の巨石群

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撮影:panasonic LUMIX DMC-G1

続きは明日載せる予定です。

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