風景写真、猫の写真など載せています。楽しんでもらえればと思います。
僕の写真紀行は容量いっぱいになりましたので、 僕の写真紀行2に移行します。 またよろしくお願いします。初夏の奈良 [奈良]
今回は、5/23撮影の初夏の奈良を載せたいと思う。
今回も写真の枚数が50枚ほどになるので、
奈良に興味のある方か、風景写真の好きな方だけご覧ください。
まずは、明日香村の初夏の風景を、
後半では、大仏殿周囲の初夏の風景を載せたいと思う。
撮影:Nikon D200、NIKKOR AF18mm~200mm VR
岡寺の入り口近くにはこんな趣のある店がある。
岡寺の山門を撮影。
岡寺三重塔は、綺麗な建築物だ。
ここで岡寺の解説を。
創建時期は不明だが、天武天皇の皇子で27歳で早世した草壁皇子の
住んだ岡宮の跡に義淵僧正が創建したとされる。
寺の西に隣接する治田神社(はるたじんじゃ)境内からは
奈良時代前期にさかのぼる古瓦が発掘されており、
創建当時の岡寺は現在の治田神社の位置にあったものと推定されている。
2005年に国の史跡に指定された。
現在では真言宗豊山派の寺院だが、義淵僧正はわが国の法相宗の祖であり,
その門下には東大寺創建に関わった良弁や行基などがいた。
義淵僧正が法相宗の祖とされていたため、江戸時代までは興福寺の末寺であった。
江戸時代以降は長谷寺の末寺となった。
岡寺本堂は大きい。
岡寺にはこんな変わった石造物がある。
カキツバタを撮影。
今の時期はちょうど端境期なのか、花が少ない。
橘寺だ。
ここで橘寺の解説を。
橘寺 (たちばなでら)は、奈良県高市郡明日香村にある天台宗の寺院。
正式には「仏頭山上宮皇院菩提寺」と称し、
本尊は聖徳太子・如意輪観音。
橘寺という名は、垂仁天皇の命により不老不死の果物をとりにいった
田道間守(たじまもり)が持ち帰った橘の実を植えたことに由来する。
聖徳太子誕生の地に建ち、太子建立七大寺の1つとされる橘寺は、
太子が父用明天皇の別宮を寺に改めたものとされる。
発掘調査の結果、当初の建物は、
四天王寺式伽藍配置の壮大なものだったことがわかっている。
皇族・貴族の庇護を受けて栄えたが、鎌倉期以降は徐々に衰えている。
橘寺には二面石という石造物がある。
境内にある高さ約1mほどの石像で、左右に善相と悪相が彫られており、
人の心の二面性を表現しているという。
本堂を撮影。
亀石を撮影。
亀石(かめいし)とは奈良県明日香村川原にある亀の形をした遺構。
長さ3.6メートル、幅2.1メートル、高さ1.8メートルの
巨大な花崗岩に亀に似た彫刻が彫られていることからこの名前で呼ばれている。
ユーモラスな顔つきから明日香村観光のシンボルともなっている。
言い伝えによれば、奈良盆地一帯が湖であった頃、
対岸の当麻(たいま)のヘビと川原のナマズの争いの結果、
当麻に水を吸い取られ、川原あたりは干上がってしまい、
湖の亀はみんな死んでしまった。
亀を哀れに思った村人たちは、「亀石」を造って亀の供養をしたという。
亀石は、以前は北を向き、次に東を向いたと言う。
そして、今は南西を向いているが、西に向き、当麻のほうを睨みつけると、
奈良盆地は一円泥の海と化す、と伝えられている。
ゼニアオイだ。
今の時期よく見かける。
葉が青々して綺麗だ。
(mimimomoさんに教えていただきました。mimimomoさんのブログ→「お花お花四季の花」)
明日香村はのどかなところだ。
鬼の俎だ。
ここで鬼の俎、鬼の雪隠の解説を。
畑の中を通る遊歩道の脇の高台には「鬼の俎」が、
遊歩道を挟んだ高台の麓に「鬼の雪隠」がある。
両者は直線距離にして数十メートル離れているが、
元は1つの古墳の石室だったものが、盛土が無くなったうえ、
二つに分かれてしまったものである。
元々は繰り抜かれた横口式石槨の石室(鬼の雪隠)とその底石(鬼の俎)であった。
大きさ
底石(俎)は長さ約4.5m、幅約2.7m、厚さ約1m。
石室(雪隠)の内幅は約1.5m、高さ約1.3m。
言い伝えによると、風の森と呼ばれるこの地方に鬼が棲んでおり、
通行人を騙してとらえ食べたと云われている。
「俎」で調理し、「雪隠」で用を足したという。
底石(俎)には多数の穴が開けられており、割り取ろうとした形跡がみられる。
これは高取城建設の際に、石垣の石材として利用しようとしたためとみられる。
鬼の雪隠だ。
猿石だ。
猿石(さるいし)は、梅山古墳(現:欽明天皇陵指定)の西に隣接する
吉備姫皇女王墓内にある奇石で、全部で4体ある。
ユニークな人面石像であるが、猿ではなく渡来人を象ったものであるといわれている。
川原寺跡。
川原寺(かわらでら)は古代日本の政治文化の中心であった
飛鳥(奈良県高市郡明日香村)に所在した仏教寺院。
別名を弘福寺(ぐふくじ)。
飛鳥寺(法興寺)、薬師寺、大官大寺(大安寺)と並び、
飛鳥の四大寺の一に数えられた大寺院であったが、中世以降衰微した。
川原寺跡は国の史跡に指定されており、
現在はかつての中金堂跡に川原寺の法灯を継ぐ真言宗豊山派の寺院・弘福寺が建つ。
飛鳥川だ
水は綺麗だった。
明日香村の稲淵で撮影。
ここは棚田がすごい。
彼岸花が咲くころはとてもにぎわう。
ここからは、大仏殿周辺の初夏の風景を載せたいと思う。
大仏殿は少し見えるだけで絵になる。
角を切られてまだ生えていない鹿が多いのだが、
そうでない鹿がいる。
やはり角がないと写真にはなりにくいなと思う。
もみじの新緑が綺麗だった。
大仏殿鐘楼
鎌倉時代、13世紀初頭の建築。
吊られている梵鐘(国宝)は大仏開眼と同年の天平勝宝4年(752年)の制作で、
中世以前の梵鐘としては最大のもの(高385センチ、口径271センチ)。
修学旅行生の持っていた鹿せんべいめがけて突進してくるところ。
この日は修学旅行生でいっぱいだった。
この子達も私服の修学旅行生だと思われる。
このお茶屋は雰囲気がある。
春日大社で撮影。
春日大社には多くの灯篭が立ち並ぶ。
東大寺大仏殿周りには原始の森が広がっていて、
杉の大木がある。
鹿にはたけのこの皮が与えられていた。
原始の森で撮影。
このあたりには、鹿がいっぱいいる。
鹿の斑点模様を撮影。
浮見堂にて撮影。
ボートが綺麗に並べられてあった。
浮見堂を撮影。
鹿が修学旅行生に囲まれている。
鹿せんべいが欲しくてたまらないのだ。
東大寺南大門
大仏池より大仏殿を撮影。
奈良奥山ドライブウェイの途中で撮影。
地獄谷石窟仏を撮影。
首切地蔵の近くの新池で撮影。
こんな道を歩いて行く。
これが首切地蔵。
鎌倉時代の作であるこの地蔵には、荒木又右衛門に試し斬りされたとの伝説がある。
撮影:PENTAX K10D、smc-PENTAX DA★ 50~135mm F2.8
今回も写真の枚数が50枚ほどになるので、
奈良に興味のある方か、風景写真の好きな方だけご覧ください。
まずは、明日香村の初夏の風景を、
後半では、大仏殿周囲の初夏の風景を載せたいと思う。
撮影:Nikon D200、NIKKOR AF18mm~200mm VR
岡寺の入り口近くにはこんな趣のある店がある。
岡寺の山門を撮影。
岡寺三重塔は、綺麗な建築物だ。
ここで岡寺の解説を。
創建時期は不明だが、天武天皇の皇子で27歳で早世した草壁皇子の
住んだ岡宮の跡に義淵僧正が創建したとされる。
寺の西に隣接する治田神社(はるたじんじゃ)境内からは
奈良時代前期にさかのぼる古瓦が発掘されており、
創建当時の岡寺は現在の治田神社の位置にあったものと推定されている。
2005年に国の史跡に指定された。
現在では真言宗豊山派の寺院だが、義淵僧正はわが国の法相宗の祖であり,
その門下には東大寺創建に関わった良弁や行基などがいた。
義淵僧正が法相宗の祖とされていたため、江戸時代までは興福寺の末寺であった。
江戸時代以降は長谷寺の末寺となった。
岡寺本堂は大きい。
岡寺にはこんな変わった石造物がある。
カキツバタを撮影。
今の時期はちょうど端境期なのか、花が少ない。
橘寺だ。
ここで橘寺の解説を。
橘寺 (たちばなでら)は、奈良県高市郡明日香村にある天台宗の寺院。
正式には「仏頭山上宮皇院菩提寺」と称し、
本尊は聖徳太子・如意輪観音。
橘寺という名は、垂仁天皇の命により不老不死の果物をとりにいった
田道間守(たじまもり)が持ち帰った橘の実を植えたことに由来する。
聖徳太子誕生の地に建ち、太子建立七大寺の1つとされる橘寺は、
太子が父用明天皇の別宮を寺に改めたものとされる。
発掘調査の結果、当初の建物は、
四天王寺式伽藍配置の壮大なものだったことがわかっている。
皇族・貴族の庇護を受けて栄えたが、鎌倉期以降は徐々に衰えている。
橘寺には二面石という石造物がある。
境内にある高さ約1mほどの石像で、左右に善相と悪相が彫られており、
人の心の二面性を表現しているという。
本堂を撮影。
亀石を撮影。
亀石(かめいし)とは奈良県明日香村川原にある亀の形をした遺構。
長さ3.6メートル、幅2.1メートル、高さ1.8メートルの
巨大な花崗岩に亀に似た彫刻が彫られていることからこの名前で呼ばれている。
ユーモラスな顔つきから明日香村観光のシンボルともなっている。
言い伝えによれば、奈良盆地一帯が湖であった頃、
対岸の当麻(たいま)のヘビと川原のナマズの争いの結果、
当麻に水を吸い取られ、川原あたりは干上がってしまい、
湖の亀はみんな死んでしまった。
亀を哀れに思った村人たちは、「亀石」を造って亀の供養をしたという。
亀石は、以前は北を向き、次に東を向いたと言う。
そして、今は南西を向いているが、西に向き、当麻のほうを睨みつけると、
奈良盆地は一円泥の海と化す、と伝えられている。
ゼニアオイだ。
今の時期よく見かける。
葉が青々して綺麗だ。
(mimimomoさんに教えていただきました。mimimomoさんのブログ→「お花お花四季の花」)
明日香村はのどかなところだ。
鬼の俎だ。
ここで鬼の俎、鬼の雪隠の解説を。
畑の中を通る遊歩道の脇の高台には「鬼の俎」が、
遊歩道を挟んだ高台の麓に「鬼の雪隠」がある。
両者は直線距離にして数十メートル離れているが、
元は1つの古墳の石室だったものが、盛土が無くなったうえ、
二つに分かれてしまったものである。
元々は繰り抜かれた横口式石槨の石室(鬼の雪隠)とその底石(鬼の俎)であった。
大きさ
底石(俎)は長さ約4.5m、幅約2.7m、厚さ約1m。
石室(雪隠)の内幅は約1.5m、高さ約1.3m。
言い伝えによると、風の森と呼ばれるこの地方に鬼が棲んでおり、
通行人を騙してとらえ食べたと云われている。
「俎」で調理し、「雪隠」で用を足したという。
底石(俎)には多数の穴が開けられており、割り取ろうとした形跡がみられる。
これは高取城建設の際に、石垣の石材として利用しようとしたためとみられる。
鬼の雪隠だ。
猿石だ。
猿石(さるいし)は、梅山古墳(現:欽明天皇陵指定)の西に隣接する
吉備姫皇女王墓内にある奇石で、全部で4体ある。
ユニークな人面石像であるが、猿ではなく渡来人を象ったものであるといわれている。
川原寺跡。
川原寺(かわらでら)は古代日本の政治文化の中心であった
飛鳥(奈良県高市郡明日香村)に所在した仏教寺院。
別名を弘福寺(ぐふくじ)。
飛鳥寺(法興寺)、薬師寺、大官大寺(大安寺)と並び、
飛鳥の四大寺の一に数えられた大寺院であったが、中世以降衰微した。
川原寺跡は国の史跡に指定されており、
現在はかつての中金堂跡に川原寺の法灯を継ぐ真言宗豊山派の寺院・弘福寺が建つ。
飛鳥川だ
水は綺麗だった。
明日香村の稲淵で撮影。
ここは棚田がすごい。
彼岸花が咲くころはとてもにぎわう。
ここからは、大仏殿周辺の初夏の風景を載せたいと思う。
大仏殿は少し見えるだけで絵になる。
角を切られてまだ生えていない鹿が多いのだが、
そうでない鹿がいる。
やはり角がないと写真にはなりにくいなと思う。
もみじの新緑が綺麗だった。
大仏殿鐘楼
鎌倉時代、13世紀初頭の建築。
吊られている梵鐘(国宝)は大仏開眼と同年の天平勝宝4年(752年)の制作で、
中世以前の梵鐘としては最大のもの(高385センチ、口径271センチ)。
修学旅行生の持っていた鹿せんべいめがけて突進してくるところ。
この日は修学旅行生でいっぱいだった。
この子達も私服の修学旅行生だと思われる。
このお茶屋は雰囲気がある。
春日大社で撮影。
春日大社には多くの灯篭が立ち並ぶ。
東大寺大仏殿周りには原始の森が広がっていて、
杉の大木がある。
鹿にはたけのこの皮が与えられていた。
原始の森で撮影。
このあたりには、鹿がいっぱいいる。
鹿の斑点模様を撮影。
浮見堂にて撮影。
ボートが綺麗に並べられてあった。
浮見堂を撮影。
鹿が修学旅行生に囲まれている。
鹿せんべいが欲しくてたまらないのだ。
東大寺南大門
大仏池より大仏殿を撮影。
奈良奥山ドライブウェイの途中で撮影。
地獄谷石窟仏を撮影。
首切地蔵の近くの新池で撮影。
こんな道を歩いて行く。
これが首切地蔵。
鎌倉時代の作であるこの地蔵には、荒木又右衛門に試し斬りされたとの伝説がある。
撮影:PENTAX K10D、smc-PENTAX DA★ 50~135mm F2.8
2008-05-24 08:01
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コメント(5)
こんにちは。scoskiです。
奈良って修学旅行で行ったはずなのに…新鮮な感動ばかりの写真でした…!
一つ一つ丁寧に建造物の成り立ちを説明してくださっているのが大変助かります。勉強になります~。
鹿可愛い~。緑が美しいですね。
by skimble (2008-05-26 09:43)
ごちそうさまでした!
とても楽しかったです♪
by soichiro (2008-05-26 14:11)
楽しく散策されたことでしょう!
楽しめました。
by hiro78 (2008-05-26 16:36)
奈良の魅力満載ですね。旅行した気分になりました。
角がない鹿はバンビみたいでかわいいですね。^^
岩の名前とか、素晴らしい風景の数々、
貴重な情報やお写真をどうもありがとうございました。
by むちゃ (2008-05-27 14:06)
いろいろと、楽しく拝見しました。
初夏の緑は眩しい程鮮やかです~♡
by パトラ (2008-05-27 16:15)