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風景写真、猫の写真など載せています。楽しんでもらえればと思います。

僕の写真紀行は容量いっぱいになりましたので、 僕の写真紀行2に移行します。 またよろしくお願いします。

飛鳥・謎の石造物 [奈良]


10月7日、奈良の明日香村へ行った。

ここには不思議な石造物が多くある。

古のロマンとミステリーを兼ね備えた心惹かれる場所だ。

写真が多いので、見る方も大変だとは思うが、ざーと見ていただければと思う。

コメントは後々付け足していきたいと思っている。

カメラは、Nikon D200、NIKKOR AF18~200mm VR

石舞台古墳のすぐそばで撮影。

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石舞台古墳だ。

大勢の観光客がいて、人が写りこまないように撮影したかったが、

なかなかできるものではなかった。

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石舞台古墳内部。

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いろいろな色の彼岸花が咲いていた。

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石舞台古墳のすぐ近くには丘がある。

そこで多くの方が、昼食をとっていた。

木の葉が入るように撮影。

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石舞台古墳から岡寺へ移動。

坂道を上がったところで撮影。

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岡寺仁王門。

日本最初の厄除けの霊場岡寺は飛鳥の東、山の中腹にある。

本堂などはさらに石垣の上に建ちならぶ。

本尊は塑像としてわが国最大の大きさを誇り、弘法大師の作として伝わる。

また、4月中旬からはシャクナゲの花約3000株が咲き誇り、

桜、サツキ、秋には紅葉も美しい。

さまざまな伝説を残した名僧、義淵僧正が創建した。

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岡寺三重塔

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明日香村の眺望

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岡寺本堂

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岡寺には、こんな石造物がある。

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岡寺近くの店

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岡寺近くの家並み

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橘寺。

聖徳太子誕生の地に建ち、太子建立七大寺の1つとされる。

発掘調査の結果、当初の建物は、

四天王寺式伽藍配置の壮大なものだったことがわかっている。

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橘寺の入り口近くにある店先で撮影。

この店では、このような手作り品を売っているようだ。

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橘寺には二面石がある。

左は悪面、右は善面と人の心の善悪二相を表したものといわれている。

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橘寺本堂。

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橘寺にはこんな色の彼岸花が咲いていた。

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亀石だ。

いつ、なんの目的で作られたかは謎のままであるが、

川原寺の所領の四隅を示す石標ではないかと云われている。

言い伝えによれば、大和盆地一帯が湖であった頃、

対岸の当麻(たいま)のヘビと川原のナマズの争いの結果、

当麻に水を吸い取られ、川原あたりは干上がってしまい、

湖の亀はみんな死んでしまった。

亀を哀れに思った村人たちは、「亀石」を造って亀の供養をしたという。

亀石は、以前は北を向き、次に東を向いたと言う。

そして、今は南西を向いているが、西に向き、当麻のほうを睨みつけると、

大和盆地は一円泥の海と化す、と伝えられている。

亀石があるところには、休憩所があり、自販機はもちろん、

カキやみかんなど果物も売っている。

今日も暑かったが、ここでほっと一息つけた。

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明日香路の石造物を巡る周遊コースがある。

そのコース沿いの眺め。

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その周遊コースを歩く人もいれば、貸し自転車で回る人もいる。

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鬼の雪隠だ。

飛鳥謎の石造物のなかで、唯一用途が明らかにされている石造物である。

用途は、横口式石槨の石室(雪隠)と底石(俎)で、

欽明天皇の陪塚として7世紀ごろ作られたと推測されている。

石室(雪隠)の扉石は失われている。

石は、古墳を覆っていた封土が流れ去り、

石舞台古墳のように石室が露出してしまったのだろう。

その石材を他の目的に転用しようとしたが、

あまりの重さに運ぶことができず放置されたと考えられる。

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鬼の俎

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欽明天皇稜のお堀。

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猿石は、梅山古墳(現:欽明天皇陵指定)に隣接する吉備姫皇女古墳内にある奇石で、

全部で4体ある。

ユニークな人面石像であるが、猿ではなく渡来人を象ったものであるといわれている。

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冬瓜がなっていた。

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こちらも彼岸花が真っ盛りだ。

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川原寺跡。

川原寺は、飛鳥寺、薬師寺、大官大寺(大安寺)と並ぶ飛鳥の四大寺に数えられ、

7世紀半ばの天智天皇の時代に建立されたものと思われる。

平城京遷都とともに他の三大寺はその本拠を平城京へ移したが、

川原寺は移転せず、飛鳥の地にとどまった。

平安時代最末期の建久2年(1191年)の焼失後は歴史の表舞台から姿を消し、

発掘された瓦やせんぶつ(土で作り焼成した仏像)、

堂塔の礎石以外には往時をしのばせるものはない。

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川原寺跡から橘寺を撮影。

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伝飛鳥板蓋宮跡

飛鳥板蓋宮は、皇極天皇の目前で、

中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を斬殺した大化改新の舞台。

飛鳥の真ん中にあるここが古くから板葺宮跡と伝承され、

石敷き広場や石組みの井戸などが復元されている。

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酒船石だ。

小高い丘の上にある花崗岩の石造物。

長さ約5.5m、幅約2.3m、厚さ約1mであるが北と南の一部が欠けている。

上面に皿状のいくつかのくぼみとそれを結ぶ溝が刻まれている。

酒を造る道具、あるいは薬などを造る ための道具ともいわれ諸説あるが定かではない。

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酒船石は丘にあり、柿畑が広がっている。

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飛鳥寺境内と甘樫丘にほど近い場所に、入鹿の首塚が存在する。

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コメント 2

りか

凄いな~。歴史の深さ、重みを感じますね。
そこに茂っている木は、私達が生まれる前から生きていて、
歴史をずっとその場所で見ていたんですね。
by りか (2008-01-14 21:36) 

minsuke

そうですよね。
石造物など、1500年もその場所にあったのです。
すごいことですよね。
by minsuke (2008-01-15 01:46) 

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