風景写真、猫の写真など載せています。楽しんでもらえればと思います。
僕の写真紀行は容量いっぱいになりましたので、 僕の写真紀行2に移行します。 またよろしくお願いします。奈良・大和路紀行 [奈良]
昨日(10/13)に引き続き、奈良を巡ってきた。
天気が思わしくない。
メリハリのない写真になると思うが、こればかりは仕方ない。
カメラは、Nikon D200、NIKKOR AF18~200mm VR
朝一番で、薬師寺を撮影した。
近くの池からの撮影である。
ここは人気のスポットで、カメラマンが毎日場所取りをして撮影するところだ。
残念ながら、朝焼けはなかった。
次に東大寺を車で通過した。
そのときに、鹿を撮影。
若草山に登るときに撮影。
東大寺大仏殿である。
奥に見えるのは、興福寺の五重塔である。
箸墓古墳である。
箸墓古墳は3世紀中頃の築造であると考えられ、
「前方後円墳」と言われる古墳の中では最古式の一つであると考えられている。
また、邪馬台国の女王・卑弥呼(西暦247年頃死去)の墓との説で特に有名だ。
祟神天皇陵だ。
古くから山辺道勾岡上陵と呼ばれた、全長242mの巨大な前方後円墳。
崇神天皇の墓といわれる。
山の辺の道沿いから見る夕暮れ時の祟神天皇陵はとりわけ美しい。
長岳寺前で撮影。
長岳寺は弘法大師が開基された真言宗のお寺だ。
我が国初の「玉眼」様式が採用された「本尊・阿弥陀如来像」が
安置されている寺院である。
長岳寺大門をくぐったところ。
長岳寺鐘楼門だ。
現存最古の遺構で、寺院でも、創建当時の唯一の遺構と言うことだ。
楼門と鐘楼とを兼ねた建物で非常に珍しいものだ。
本堂だ。
阿弥陀三尊像が安置されている。
長岳寺を後にした。
柿本人麻呂の句が刻んである。
「衾道を引手の山に妹を置きて山路を行けば生けりともなし」
意味は、
引手の山に妻の屍を葬っておいて
山路を帰ってくると悲しくて生きた心地もしない。
解説すると、
世間の目を避けて、穴師か、車谷方面の巻向川に臨む家に
隠し住まわせた妻であっただけに死なれると、
ひとしお哀れさが心にしみたであろう。
歩くコースにはこんなところもある。
歯定神社(はじょう)だ。
人懐っこい野良さんがいた。
衾田陵だ。
竜王山の麗、萱生町から中山町にかけて所在する全長230mの巨大前方後円墳。
宮内庁が手白香皇女衾田陵としている墓。
無人スタンドがある。
みかん園だ。
桧原神社だ。
別名、元伊勢と呼ばれる。
檜原神社は三ツ鳥居があるだけで、社殿は持っていない。
三輪山が神体であるからである。
無人スタンドがいたるところにある。
玄賓庵(げんびんあん)境内で撮影。
鶏頭だ。
玄賓庵は、9世紀、玄賓僧都がここに草庵を結んで世を忍んだといわれる寺だ。
玄賓庵の白い外壁は趣がある。
山の辺の道を後にして、長谷寺に向かった。
長谷寺仁王門だ。
現在の長谷寺は、真言宗豊山派の総本山として、
また西国三十三観音霊場第八番札所として、
全国に末寺三千余ヶ寺、 檀信徒はおよそ三百万人といわれ、
四季を通じ「花の御寺」として多くの人々の信仰をあつめている。
登廊だ。
長谷寺五重塔だ。
続編はこちら。大和路紀行
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